スポンサーサイト

--.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

遭逢

2015.11.03 (Tue)
レハトがお城に行く前のお話。
他の登場人物は、ネタバレになるため伏せます。
相も変わらず、少々胸糞注意。


遭逢


 小さな家には寝台が一つしかなかった。住人である母子は、この粗末な寝台で共に体を寄せ合いながら毎夜睡眠をとっていたのだろう。あまり裕福な環境ではないことは家具の乏しさからも容易に想像がついた。

 今、寝台には母親のみが横たわってる。安らかな夢を見ているかのように顔は穏やかだった。
 子は側に寄り添い、母の手を握ったまま動かない。
 突然訪れた悲劇に泣き喚くわけでもなく。二度と目を覚まさない母に何かを語りかけるわけでもなく。そんな二人の様子を、私はなすすべもなく無言で見守っていることしかできないでいた。

 干されている洗濯物。
 卓の上には、飲みかけのお茶が二つ。
 帰宅してから食事の支度をするつもりだったのだろうか。台所には大きな鍋と食材がいくつか置かれていた。二人はつい先ほどまで何の変哲もない日常を送っていたのだと思うと胸が痛くなる。
 
 子の顔には表情がなかった。茫然、という表現にこれほど相応しいものはないというくらいに。
 冷たくなった手を握って何を考えているのだろう。いや、考える、という行為すらできないでいる状態なのかもしれない。
 私だって傍目にはもう中年という域に入っているが、長年連れ添った妻や、苦労して育て上げた子供たちが何の前触れもなく山へと旅立ってしまうことを想像したら、とても正気でいられる自信はなかった。
 子は、体つきからして恐らくまだ成人前。現実を受け入れろと言うほうが無理だ。

 部屋の中が次第に暗くなってきて、灯りをつけるべきか躊躇していた時、扉を叩く音が屋内に響いた。音にも反応せず動かない子を横目に、そっと扉を開けて様子を窺う。神妙な面持ちの年配男性が私に会釈をし、遠慮がちに家に入ってきた。ここに来る前に村長だと紹介された男だ。

「……レハト」

 レハト、と呼ばれた子は、村長に肩を触れられてもやはり返事をしなかった。

「ずっと床に座り込んでいては体が冷えるだろう? 何か温かいものでも食べないかい?」

「……」

「それに、ほら。葬儀の前に、お母さんを少し綺麗にしてやらないと。このままでは魔除けの布も巻いてやれないだろう? 大丈夫。レハトには辛いだろうから村の大人たちでやっておくよ。レハトはワシの家で待っていなさい」

 そう言い終えると、村長は再び子の肩に触れた。語りかけている間も相手が無反応だったからだ。
 村長の言葉は、子の頭の中までは届いていないのかもしれない。悲しさのあまり精神が壊れてしまった可能性だってある。全てのものから心を閉ざし、ひょっとしたら、このまま母との思い出ばかりに浸り続けて人形のように……。

 しかし、私の不安をよそに子は突然勢いよく立ち上がった。立ち上がるなり、部屋の隅に居た私に視線を向けてきた。

「ねえ、おじさん」

 思ったよりも子の声はしっかりとしていた。
 私の存在に気付いていたのか。少し意外だったので、

「……なんだい?」 

と返した声が、少し篭りがちになってしまった。

「どうして私だけを助けたの」

 その言葉は、瞬時に私の体を凍りつかせた。子は相変わらず無表情だったというのに、すさまじい憎悪の念を向けられているのを感じた。
 返事ができないでいる私の代わりに、村長が慌てたように場を取り持つ。

「これ、レハト。この方は命の恩人だというのに、そんな言い方は……」

「一人ぼっちにされるくらいなら助からないほうがよかった」

「レハト」

「どうして私を助けたの。これから一人で生きていかなくちゃいけない私を、貴方が責任を取ってくれるとでも言うの?」

「いい加減にせんか、レハト!」

「私も母さんと一緒に死んでしまいたかった! なんであの場に居たの! あの時、貴方が余計なことをしなければ、こんな思いをしないで済んだのに!!」

 今にも暴れ出しそうな子を村長が抱き止める。村長の視線がちらりと扉に向けられた。「すまないが、今はとりあえず出て行ってくれ」という意図と受け取り、私は罵声を背中に浴びながら母子の家を後にした。


  ◇  ◇  ◇


 外へ出ると、家を囲んでいた村人たちの視線が私に集中した。皆、あの子を心配して集まってきたのだろう。人数からして、村に住居を構えている全員がここに集っているのではないだろうか。
 
「ふらりとこの村にやってきたんですよ。親子揃って、心身共に疲れ果てたという様子で」
「どこからやってきたのか、父親はどうしたのか。事情がありそうなんで何となく聞けなくて」
「こんなことになるならちゃんと聞いておけばよかったねえ。レハトちゃん可哀想に。せめて引き取ってくれる親戚がわかれば……」
「やっと二人とも村に馴染んできた様子だったのにねえ……」
「あんな良い子が、こんな目に遭うなんて。アネキウスも無慈悲なことをなさるもんだよ」

 もう息をしていない母親を家に運ぶ途中、父親は、と問いかけた私に、村人たちはそんな風に親子の事情を説明してくれた。この村に住み始めて、まだそれほど年月が経っていないらしい。それでも皆が親子をよそ者扱いせずに、突然訪れた悲劇を我が事のように嘆き、こうしてあの子のことを気にかけてくれている。
 結束の固い村なんだな、という印象を受けた。
 
 先ほどの怒号は家の外までもちろん聞こえていただろう。気まずさからどんな顔をしてよいかわからない私に、村人の一人が歩み寄って声をかけてきた。

「命の恩人だというのに失礼な態度で申し訳ありません。普段はあんな子ではないのですが」

「いえ、仕方がないですよ。たった一人の身内を突然亡くしたのですから……」

「あの子の母に代わってお礼を。レハトを助けてくださって、本当にありがとうございました」

 一人が私に礼を述べると、皆が次々に頭を下げて「ありがとうございます」「ありがとう、ありがとう」「おじちゃん、どうもありがとう」と感謝の意を口にする。目に涙を浮かべ、力強く私の手を握ってくる者まで居た。
 
 家の中から、もう叫び声は聞こえてこない。あの子の様子は落ち着いたようだ。村長がうまくとりなしてくれたのだろう。
 
「レハトのことは、とりあえず村長に任せようか」

「じゃあ、あたしはもういちど食事を用意してくるよ」

「レハトちゃん、何が好きだったっけねえ」

 村人たちが天涯孤独となったあの子を気遣う中、私の胸は後悔の念でいっぱいだった。
 どうして、一人しか助けることができなかったのか。私がもう少し手を伸ばせば何とかなったのではないか。

「……あまり、ご自分を責めないでください。貴方がいなければ二人とも助からなかったのは間違いないのですから」

 考えていたことが思わず顔に出てしまっていたのだろう。私の思考を読み取ったように村人が慰めを口にした。しかし今の私には、どんな言葉をかけられても心を軽くする要素にはなり得ないのだった。 


  ◇  ◇  ◇


 休暇を兼ねた旅行中に、まさかこんな事故に遭遇するとは思いもよらなかった。
 朝の時点では、この村に立ち寄る予定ではなかった。時間に余裕ができたので、少し寄り道をして歩いてみようかと妻が言い出したのだ。そして、この小さな小さな村に辿り着いた。

 妻と二人、たわいのない会話をしながら歩いていた。すれ違う村人たちの愛想がよく、皆が会釈を返してくるのを見て、「小さい村だけど良いところだね」「老後はこんなところに住むのもいいね」などと話していた。
 黄色い花があちこちに咲いている。人はまばらにしか出歩いていないが、のんびりとした穏やかそうな村。
 子育ても終えたことだし、そろそろ職を変えてこういう所に居を移すのもいいのかもしれない。息子たちは「こんな辺鄙なところじゃ帰りづらくなる」と文句を垂れるのかもしれないが。 

 しばらく歩き、もう村の外れかなと言うところまで歩を進めた時。前方で砂煙が上がっているのが目に入った。
 獣の嘶く声。
 何かが狂ったように激しく地面を削る音。
 あれは車輪の音ではないか、と気付くと同時に、砂煙の中に暴走した鹿車と蹲っている親子らしき姿が見えた。
 妻の悲鳴。
 一層激しく回転する車輪。 
 御者の姿は見当たらない。振り落とされたのか。制御は無理だと判断して無責任にも車を捨ててしまったのか。
 
 迷っている暇はなかった。普段から体は鍛えている。もう若いとは到底言えない年齢ではあったが、足の速さにも自信はあった。
 それでも、我を失っている兎鹿の速さには敵わなかった。

 蹲くまりながらも、母親が懸命に子を突き飛ばす。駆け寄った私は子の腕を引っ張り、道の脇へと放り投げる。
 続けざまに母親に体当たりしようと視線を戻した。しかし、目に飛び込んできたのは鹿車が通り過ぎたあとの砂煙だった。

 咄嗟に、妻は、と振り返る。荷物と共にへたり込んでいる彼女の側を、まだ勢いの止まらない鹿車が駆けて行った。妻の無事を見届けて体中から力が抜ける。だが、すぐに母親を呼ぶ子どもの叫び声が聞こえてきて、少しでもそんな態度を見せてしまった己の浅はかさを恥じた。


  ◇  ◇  ◇


「お帰りなさい。お食事は?」

 一足先に宿屋に戻っていた妻が、青い顔で私を出迎えた。まだ昼間の出来事を引きずっているのだろう。心細かっただろうに、長く一人にさせてしまった罪悪感から私も無理に笑顔を作って答えた。

「いや。食欲がないから、このまま休むよ」

「そう……」

 それからすぐ、二人とも言葉少なに床についた。
 
 妻には申し訳ないが、例え時間がかかろうとも、もう一度だけあの子に対面してから、せめて何かひとことでも声をかけてから宿に戻るつもりだった。だが、

「奥さんが隣村の宿で待っているのでしょう?」

「一人で可哀想ですよ。あんなことがあった後なんですから」

「レハトちゃんのことは大丈夫。私らに任せてくださいな」

と、親切な村人たちに追い出されるように村を後にしたのだ。
 その気遣い方は、正直、私を疎んじんているのかと思ってしまうほどのものだった。「世話にはなったが、よそ者にこれ以上できることなどない」。そう言われているように感じてしまった。
 ……いや、考えすぎだ。いろいろなことが一度に起こって思考が悲観的になってしまっているに違いない。

 隣の妻はぴくりとも動かないが、私と同様、なかなか眠れずにいる様子なのは暗闇でもすぐにわかった。
 
「昼間はすまなかった」

「……え?」

「私が飛び出して、生きた心地がしなかっただろう。そんな思いをさせてしまって悪かった」

「そんなこと。貴方の妻になった時から承知の上ですよ。何をいまさら」

 笑い混じりに妻が答える。こんな時でも私を気遣ってくれる彼女を心底有り難く思った。私を理解し、長年支えてくれた妻。
 あの子は、そういった支えを突然無くしてしまったのだ。覚悟する暇もなく。理不尽とも言える出来事で。どこへ向けたら良いかわからない怒りを、私にぶつけるのも仕方がないことだと思った。

「ねえ。あの子、うちで引き取ってもいいんですよ?」

「……」

「子育てもひと段落して、少し寂しいなと思っていたところですし。もちろん、あの子が承知してくれたらの話ですけど。こうなったのも、何かの縁かもしれないわ」

「いや、駄目だ」

「どうして?」

「いや……。どうしても駄目なんだ、それは」

 母親を助けることが出来ず、あんなにも憎しみを向けている私の養子になど、あの子が承諾するわけがない。それがもちろん理由の一つではあったが、妻にも言えない他の理由を私は昼間からずっと抱えていた。

「……ちょっと村に戻るよ」

「こんな夜中に?」

「忘れ物をしたんだ。すまない、なるべく早く戻る」


  ◇  ◇  ◇


 あの時、事故に巻き込まれずに済んだ妻の無事を見届けてから、私は倒れている母親の元へと駆け寄った。だが、その足が一歩踏み出してからすぐに止まる。
 これはもう助からない。近くで見ずとも、それが一目でわかってしまった。
 
「お母さん! お母さん!!」

 茫然としている私をよそに、子が泣きながら母にすがりつく。まだかろうじて意識のある母親の腕が弱々しく上がり、細い指が子の頬を、瞼を、額をなぞった。何かを伝えようとしているのか口元が痙攣しているような動きを見せる。
 しかしそれは声にならず、血と砂にまみれた唇は半開きのまま止まってしまった。
 
 勢いの止まらない鹿車は道を外れ、何かに衝突したのか、少ししてから凄まじい衝撃音が聞こえてきた。後から聞いたが、中は無人で持ち主の所持品すら残っていなかったという。作りからして恐らく貴族の車だろうが、名乗り出るとはとても思えないので人物を特定できるはずもない。

 子は、母の身体を揺すって何度も何度も呼びかけていた。
 自分の不甲斐なさに心が痛む。子のほうが無事でよかった、と思えるような状況ではとてもない。
 
「すぐにお医者に見せよう。まだ間に合うかもしれない」

 何と声をかけてよいかわからず、そんな心にもないことを口にしてしまう。母の体に顔を埋めていた子が、怒りに満ちた目をして勢いよく振り向く。
 
「間に合わないよ! こんなに、血が、たくさん、お母さんが、お母さんが……!!」

 涙に濡れた顔。砂と土で汚れた髪。
 そして、乱れた前髪の隙間から私は信じられないものを目にした。
 これは、まさか。
 いや、そんな馬鹿な。有り得ない。
 
 子が再び母の身体に顔を埋める。と同時に、近くに落ちていた布切れに気付いた。
 騒ぎを聞いた村人が遠くから駆け寄ってくる。私は咄嗟に、その布切れを子の頭に巻き付けた。理由など説明できない。ただ何となく、隠さなければいけないと判断したのだ。

 母親は、最期の時に何を伝えようとしたのだろう。
 名前を呼び掛けたのか。
 それとも。もしかしたら我が子の頭に巻いていた布が外れていることに気付き、額を隠すよう伝えたかったのではあるまいか。

 暗闇の中、迷いそうになりながらも何とか親子の家に辿り着く。周りに村人の姿は無い。家からはかすかに灯りが漏れている。まだ起きているのだろうか。灯りをつけたまま眠ってしまったのか。村長か、村人の誰かが付き添っているかもしれない。
 ためらいがちに扉を叩いた。返事は無く、扉を押してみると鍵がかかっていなかった。

「……突然訪ねてしまって申し訳ない。まだ、起きているかい?」

 一応、声をかけてから中を覗き込む。家には子が一人きりで、やはり母親の側に座っていた。ひとしきり泣き喚いたのか瞼が赤く腫れている。驚くことに、昼間とは打って変わって表情は和らいでおり、私に向けられた視線からは憎しみの念は感じられなかった。

「……おじさん……」

「いや、あの、夜中にすまないね。もう明日には旅立つから、一応挨拶をしておこうと」

「……さっきは……、ごめんなさい。……ごめんなさい……」

 ぽつりと呟いてから、子の瞳から涙が溢れる。手にしていた布で一生懸命目を擦っているが、それが追いつかないくらいに後から後から涙が顔を濡らし続ける。
 村長に諭されたのだろうか。あれからずっと、私に謝罪しなければと思い悩んでいたのだろうか。こんなに小さいのに、母親が亡くなって悲しみに押し潰されそうになっているだろうに、村人たちの言うとおり本当にいい子じゃないか。
 
 こちらまで涙がこみ上げてきて、たまらなくなって子を抱き寄せた。頭を撫で、子が落ち着くのを待つ。

「その布。やっぱり君のだったのかい? あの時、咄嗟に拾ってしまったんだが」

「そ、そうです。おかあさ……母が、縫ってくれた、もので」

「そうか。それは、その、立ち入ったことを聞いてすまないが、その額の痣を隠すために?」

「はい……。痣が、みっともないからって。隠したほうがいいって……」

 子の言葉を聞くなり私は深くため息をついた。見間違いであってくれ、勘違いであってくれと願っていたことが、今この場ではっきりと現実になってしまった。
 部屋は薄暗く、私の胸の中で「それ」は鈍い光を放っていた。痣が何を意味する物なのか私は知っている。母親も知っていて今まで隠し通してきた。あんな事故がなければ、この子は母に守られながらごく普通の生活を送り続けていたのかもしれない。
 母親の気持ちはわからないでもない。厄介なことに巻き込まれぬよう隠せるものなら隠してしまいたいと、私も母親と同じ立場だったら「寵愛者」である我が子を匿いながら育てたかもしれない。

 だが。こうなっては話が別だ。 
 この子を守る者が居なくなってしまった今、早急に安全な場所へ移す必要がある。


  ◇  ◇  ◇


「……何と仰いました?」

「ですから。あの子……レハトの額をご覧になったことがありますか?」

 夜中にも関わらず、私はすぐに村長の家へと出向いた。突然の訪問者に村長は驚きながらも中に招いてくれたが、私の問いかけを聞いてすぐに後悔するような表情に変わる。

「徴が……? レハトが、寵愛者だと仰るのですか?」

「間違いないと思います。母親も知っていたようですし。一刻も早く、城に知らせたほうがいい」

「まさか、そんな……。あの子が……。信じられるわけがないでしょう。徴持ちは一人きりと決まっている。城には国王の甥っ子が」

「例外もあった、ということかもしれません」

「馬鹿な。貴方には散々お世話になったから、寝ているところを叩き起こされても、こうして戯言を大人しく聞いてあげていますがね。ご自分が何を言っているかわかっているんですか? 人をからかうのも大概にしていただきたい」

「私の見間違いや勘違いなら、いくらでも謝ります。ですが、本物かどうかを確かめるためにも城に知らせるべきなんですよ。知らせを受けたら城から検分する者がやって来るでしょう。もし本当にあの子が寵愛者だとして、今後レハトの身に何かあったらどうなさるおつもりですか。城に全てが露見したら、貴方も責任に問われるかもしれないんですよ」

「しかし……」

 私の必死な説得にも、なかなか村長は首を縦には振らなかった。頭の固い老人がようやく重い腰を上げたのは、もう外が明るくなってからだ。そんな訳がない、見間違いに決まってる、あんたがそこまで心配しなくてもレハトは村の皆で世話を、などとぶつくさ言いながら、村長は渋々レハトの家へと足を向けた。

「この度は、年明け早々、突然のことで。本当にお気の毒だったね」

 緊張からなのか、混乱しているせいなのか。ちょうど外へ出ていたレハトに話しかけた村長の口調は、少し他人行儀でぎこちないものだった。

「えー、ところで。ちょっと聞いた話なんだが、君の額には……」

 レハトの髪をかき上げて額を目にした途端、村長の目が大きく見開かれる。その光景を私は少し離れた場所から見守っていた。レハトは妙な質問をされたことを訝しむ様子もなく、二言、三言、村長と会話を交わしてから家へと戻っていく。しばらく茫然と突っ立っていた村長だったが、やがてふらついた足取りで私のところへ戻ってきた。

「……」

「本物、だったでしょう?」

「い、いや。確かにそう見えたが。でもまさか、しかし……」

 相も変わらず頑固な老人は、実物を目にしても自分の考えを曲げない姿勢を貫いた。城への手紙を仕方なしに綴っている間も、「何かの間違いだ」「こんなこと起こるはずが」となかなか筆を進めようとしない。

「手紙は私が文鳥屋へ届けてきます。いや、内容が内容ですから、城に直接届けたほうがいいでしょう。宿へ戻ってすぐに出る準備してまいりますから」

 やっと書き終えた手紙に私が手を伸ばしかけると、村長は不自然なぐらいに拒絶の態度を示した。

「いえいえ、そんなことまで貴方にお願いするわけには。村の誰かにやらせますから」

「よそ者の私が信用できないのもわかりますが、こんなことが広まったら一大事です。知っている者は最小限に抑えたほうが」

「……」

「もちろん、妻にも事は伏せて私一人で城に向かいます。いいですか、なるべく急いで届けますが、城からの使いが来るまで他の誰にも知られないように気を付けてください。あの子の身に危険が及ばないよう十分に注意を払って……」

 結局、最後の最後まで村長は渋い顔を崩さなかった。
 ふらりとやってきたよそ者に、ここまで干渉されたのが気に食わなかったのか。ただ単に、思いがけない出来事が立て続けに起きて思考が追いついていないだけなのか。
 私のおせっかいな性格は昔からだ。
 雇われ先の主には、「本当にお前は何にでも首を突っ込むのう……」と苦笑混じりに言われ、妻にも息子たちにも、「お父さんに振り回されるのは、もう慣れっこだよ」と溜め息混じりに言われ、自分でもわかってはいるのだが、長年培ってきた性分はそう簡単に直せそうにはない。

「……では、ルクエスさん。よろしくお願いします……」

「はい。確かに」
 
 頑なな村長の態度に少々違和感を覚えたが、私は手紙を受け取って辺境の村を後にした。


  ◇  ◇  ◇


 妻には、全てが片付いてから事情を説明するから、と平謝りし、鹿車を呼んで先に自宅へと戻らせた。
 休暇を利用した旅行が途中で中断され、昨夜も「すぐ戻る」と言いつつ朝まで戻らなかったというのに、妻は溜め息ひとつと苦笑を浮かべるだけで私を責めなかった。またきっと、「慣れていますから」と後から言われるのだろうか。帰宅したら、何としても埋め合わせをしなければ。このままでは愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 手紙を届けるついでに城にいる息子に会いたい気もするが、今回はやめておこう。
 私は思ったことがすぐに顔に出てしまうから。わざわざ城まで何をしに来たのかと問われて、嘘をつき通せる自信がない。

 もし、あの子が本当に寵愛者だとしたら。城で保護されることになったら。
 そのうち、グレオニーと顔を合わせることがあるかもしれないなと、そんなことを思いながら、私は城へ向かう鹿車に乗り込んだ。


  ◇  ◇  ◇


 ……レハトは? どうしてる?

 大丈夫、見張ってる。大人しくしてるよ。

 寵愛者だって? 本当に?

 数日したら、城から使いが来ると思う。しかし間違いないだろう。ワシも実際に見た。

 本物だったら、城に連れて行かれるのかい?

 じゃあ今年の贄は!? どうするのさ!!

 ……。

 どうしてこんなことに……。

 あんな事故さえなければなあ……。

 うまい具合に、よそ物が向こうからやって来てくれたのに。あの女、まさか気付いて親子で逃げ出そうとしてたんじゃあないだろな。

 いや。あたしが見張ってたけど、そんな感じじゃなかった。いつもと変わりない様子だったよ。そこに暴走した鹿車が……。

 何でそんな手紙をあの男に託したんだよ。村の誰かにやらせれば隠し通せたかもしれないのに。

 早いほうがいいと急き立てられたんじゃ。手紙を書いている間、びったり見張るように側に居られて。断り続けたら不自然だし、変に思われてしまうだろう?

 まだ間に合うんじゃないか。手紙を届けられちまう前に、あの男を始末したら……。

 あんなに腕が立ちそうな男を? 無理だよ、ありゃそこんじょそこらの身のこなしじゃない。何かきちんと訓練を受けた動きだ。どこぞの護衛を生業にしているのかもしれない。

 じゃあ、今年はどうするんだよ。祭までもう時間が無いっていうのに。
 
 いつものように、身寄りのない女を攫ってくるほかあるまい。

 あーあ。ったく。贄が代用まで連れてのこのこやって来てくれたから、今年は楽できると思ったのに。結局いつもと同じか。

 アネキウスの寵愛者が贄だったら、来年は大豊作だったかもしれないねえ……。ああ、もったいないもったいない。

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。