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意地

2016.01.16 (Sat)
ハイラがレハトにモダモダするお話。

某お祭りに出品したものを、ブログに出せるよう修正しました。
モロな年齢制限描写はありませんが近いものはあります。エロい話が苦手な方はご注意を。


「意地」


 初めてまともに会話を交わした時のことはよく覚えている。
 訓練所にひょっこりと一人で現れた寵愛者。まだ成人前だったから彼と言うべきか、彼女と言うべきか、とにかく件の人物は小さな身体できょろきょろ辺りを見回しながら誰かを探している様子だった。誰かを、なんてわかりきっている。この場所で寵愛者が用事のある人物なんてグレオニーしか思い当たらない。
 あの時、毛嫌いしている寵愛者に何故こちらから話しかけてしまったのか。ちやほやされると信じきっているその純粋無垢な顔が、醜く歪んでいくのを見てみたかった。たぶん、そんな誘惑に駆られたんだと思う。皆が皆、グレオニーのように優しい奴らばかりだと思ったら大間違いだ。鍋を一緒に食したぐらいで仲良くなれたと本気で考えているなら、頭がお花畑にも程がある。

「身の程を知ったほうがいい。護衛もつけずにふらふら出歩けるのは、それだけの価値しかないからだ」

 力強く睨み付けてくる眼差し。思ったとおりの表情を拝めることができて私は愉悦に浸っていた。
 その後はこれといった接点もなく日々が過ぎていった。向こうも私に近付いてこなかったし、もちろんこちらから関わろうともしなかった。そうなるよう願って言葉をぶつけたのだから当たり前だ。
 
 寵愛者が女性を選び、衛士という職を得たと聞いた時も、「ああ、グレオニーがいるからな」ぐらいにしか思わなかった。
 仲が良くて結構なことで。でもまあ、グレちゃんが幸せならいいんじゃない? 頼むから、幸せボケに目が眩んで、仕事に影響が出るようなことだけはやめてよね。迷惑だから。
 そう言った私に、図体のでかい友人は口をぽかんと開けた間抜け面をご披露してくれた。

「……俺と? レハトが? ハイラ、お前何か勘違いしてないか?」

 あら、違うの。
 てっきりそういう仲だと思っていたのに。

 それから注意深く見ていたが、確かに二人の間に艶かしい空気は感じられなかった。ただの友人。仲の良い友人。
 じゃあ、いつも一緒にくっついて何を楽しそうに話し込んでいるのかと問うと、今日の議題は「食堂のご飯の味付けについて」だったとグレオニーは答えた。ちなみに昨日の議題は「簡単にできそうな、かっこいい剣の抜き方、収め方」だったそうだ。色気もくそもない。若い男女の会話とはとても思えない。
 
 では何故、寵愛者は女を選んだのだろうか。
 グレオニーが目当てだと思っていたのだが、それが間違いだとなるとそういった素朴な疑問が浮かんでくる。

「さあ。何となく、としか聞いてないけど。あれだけ綺麗になったんだから、それはそれで正解だったんじゃないか。あっちこっちから、いろいろ誘われて大変らしいよ。成人前はみんな遠巻きに見てるだけだったくせにな」

 グレオニーの言うとおり、寵愛者は成人前と比べて別人かと見紛うくらいの変貌を遂げた。  
 しなやかなで艶のある髪。長い睫。高く整った鼻に大きい瞳。訓練中も、皆がちらちら寵愛者の様子を伺っている。隙あらば話し掛けようと企んでいる。当の本人は女性という自覚があまりないのか、

「それがさ。汗が気持ち悪いって、いきなり服を脱ごうとしたんだよ。信じられるか? 周りにたくさん人が居るんだぞ? 慌てて止めたら『余計なことしやがって』って後からみんなに怒鳴られて……」

「仕事の時以外は、『面倒だから侍従が選んでる服をそのまま着てる』んだってさ」

「あいつ、あんなんで彼氏とかできるのかなあ。彼女が居ない俺が言うなって感じだけど……」

と、グレオニーがぐちぐち言っていた。

 変な女。
 友人からの話を聞いて受けた印象がそれだ。私には関わりの無いことだから、どうでもいいんだけどさ。

「さっきの人、きれいな人だね。ハイラの恋人?」

 だから、向こうからそんな風に話し掛けられた時は、取り繕うのを忘れるほどに驚いた。 
 長い髪を束ねた新人衛士の寵愛者は、訓練場に足を踏み入れた私にそう問うてきた。辺りを目を配らせるもグレオニーの姿は見当たらない。こんな隅っこで何をしているのか、寵愛者は一人ぽつんと壁にもたれ掛かって座り込み、視線だけをこちらに向けている。無表情な顔からは何を考えているのか読み取ることはできなかった。
 
 別にこっちはあんたと話なんかしたくない。だが、あからさまにそんな態度を取るのも大人気ない。立場的にはこちらが一応先輩になるわけだし。
 額に印を持つ後輩衛士を見下ろし、余裕のある笑みで私は答えた。
 
「いいや。ただの知り合い」

「ハイラは、ただの知り合いとキスするの?」

 一瞬だけ笑顔がひきつる。
 いったい、どこから見ていたんだ。油断も隙もない。
 見られていたことに全く気付かなかった自分にも腹が立つ。

「寵愛者様は覗き見が趣味なの? 将来に向けて勉強中? 覗くなら中庭の西側がお勧めだよ、昼間でも薄暗いからスリルを楽しみたい奴らが連日順番待ちしてる。目立たない服に着替えてから行ってみな」

 これで話は終わりだと言わんばかりに踵を返した。
 鍛錬は中止だ、中止。気分直しに飲みに行こう。
 だが衛士服の裾を引っ張られてしまい、退散しようとした私の動きが止まる。寵愛者は相変わらずの無表情を貫いたままで、再び問いかけてきた。

「今日、ヒマ?」

 暇だったら何だと言うのか。一緒に酒場まで着いていくとでも言う気か? 
 グレちゃんはどこ行ったんだよ。
 こいつのお守りはあんたの役目でしょうが。

「暇だけど、あんたの返答次第じゃ暇じゃなくなる。なに? 私に何か用?」

 そして、その日の夜中。
 行為を終えて衣服を身に付けた寵愛者は、「おやすみ」とだけ言い残して私の部屋から出て行った。それを見届けてから寝台の上で寝返りを打つ。枕から、彼女の残り香が漂ってきた。夢ではない。現実に起こったことなのだと、その香りが自分に語りかけてくる。

 変な女。
 肌を重ねてみても、やはり寵愛者の印象は変わらなかった。


  ◇  ◇  ◇


 誘ってきたのは向こうからだ。
 頬を染めるでもなく、伏し目がちになるわけでもなく。真っ直ぐに私を見つめて「相手をして欲しいんだけど」と、まるで剣術の稽古を頼むような口ぶりだった。こっちも暇と言えば暇だったし。娼館通いにも少し飽きてきたところだったし。そういえば処女とは久しくやっていなかったな、と思って彼女の誘いに乗った。たまにはいつもと違う類の女と寝てみるのもいいだろう。

 最中も大したことは考えておらず、「着やせするタイプなんだな」とか「これだけでかい胸だと、剣を振る時に邪魔にならないんだろうか」みたいなくだらないことしか頭にはなかった。
 こちらの動きで苦痛に歪む表情を浮かべていたことからも、相手にとってはこれが初めてなのだろうという自分の予想は外れていなかったようだ。
 この滑らかで瑞々しい裸体を直に目にする男が、最初に触れた男が私になるのか。
 そんな優越感は多少あったかもしれない。
 
 でも、それってどうなのさ。
 女にとって最初の相手って重要なもんなんじゃないの、普通は。たまたま通りがかった私を選ぶなんて、あの女の頭の構造はいったいどうなっているんだ。

 何度目かの夜を過ごした後、彼女に直接訊いてみた。
 あの時、どうして私に声をかけたのかと。

「だって、上手そうに見えたから」

「……まあ、否定はしないけど」

「初めての人同士でやったら余計に痛いんじゃないかと思って」

「じゃあさ。『アレってどういうものなんだろう、よく聞くようにそんなに痛いもんなんだろうか』ってな寵愛者様の好奇心は既に満たされたってのに、何でこうやって何度も誘ってくるの」

「……? 気持ちいいからだよ? 他に理由があるの?」

「……」

 身体だけの関係。恋人ではなく、快楽のみを求める間柄。
 好きだの愛してるだの、面倒な駆け引きも一切いらず、恥じらいもへったくれもない。やりたい時にやる。やりたくない時は言葉を選ばずに「めんどくさい」「今日は他の女の気分だから」と断る。彼女は気分を害した様子もなく、「じゃあまた今度ね」とあっさり去っていく。
 そんな気楽な関係に私は満足していた。恋人とか重いし、息が詰まるし。ついきつい言葉をぶつけて泣かれでもした日には気分が悪くてうんざりする。見てくれも悪くない、しばらくは退屈しそうもない玩具を思いがけず手に入れることができたと思った。

 そう、満足していたはずなのだ。
 彼女の身体に。後腐れのない夜の秘め事に。

 なのに、そうやって人には言えないような関係をずるずる続けているうちに、説明のできない苛立ちが次第に募ってきた。
 彼女が何を考えているのかさっぱりわからない。行為中は甘えるようなねだるような仕草を見せることもあるというのに、終わった途端の変わり身の早さといったら。
 さっきまであんなに可愛い声出してたくせにさ。淫らな格好で。それが今は涼しい顔してグレちゃんと会話して。女って怖いね、裏で何をやってるかわかったもんじゃない。
 
 グレオニーが彼女に何かを囁き、それを受けた寵愛者が朗らかに笑い出す。細い腕が、グレオニーの身体を軽く小突いた。さっきまで、汗ばんだ私の身体をきつく抱き締めていた細い腕。私の髪をかき乱していた指が、今はグレオニーの衣服に触れている。
 どこからどう見ても仲の良い男女二人。そんな二人の側を通り過ぎると、私に気付いたグレオニーが軽く手を上げた。隣の女は知らん振りを決め込んでいる。

 なんだか気分がもやもやしてきた。
 やり足りなかったかな。昼間だと落ち着かないんだよね、ゆっくりできないから。焦らないで夜まで待てばよかった。

 得体の知れないもやもや感は日を追うごとに強くなり、舌打ちの回数も増えていく。人前でそれを曝け出すような馬鹿な真似はしなかったけれど。勘の良いフェルツに「何かあったのか?」と一度訊かれたぐらいだ。ああ、そうだ。娼館の子に「いつもより荒っぽい」と少し嫌な顔もされたっけ。
 そんな調子のままで御前試合に出たものだから、もちろん結果は惨憺たるものだった。

 控え室で鎧を外し、コートを脱ぎ捨てる。手袋がほつれていた。そんなにも力の加減を考えずに剣を振り回してしまっていたのだろうか。どんな戦い方をしたのか、あまりよく思い出せない。
 何もかもが面倒になり、隅にあった屑入れに手袋を投げ捨てる。狙いは外れて床に落ちたがそのまま放っておいた。私服に着替えるのも億劫で、だらしなくボタンを外した状態で廊下に出る。扉を開けた途端、麗しき寵愛者の姿が目に飛び込んできた。

「……なんだ。試合、見てたの?」

「うん。今日、非番だったから」

「グレちゃんは?」

「誘ったけど仕事だった」

 私服を身に纏っていた彼女がにこりともせずに答えた。

『ハイラが出るって聞いたから、応援しようと思ったの』
 そんな言葉は、この小さな口からは間違っても出てこない。わかっているはずなのに私は何をこんなにも苛ついているのだろう。

 額から流れる汗が気持ち悪い。汗臭くていらいらする。いつも飄々としている自分らしくない表情。眉間に皺よせて、歯を食いしばって、みっともないったらありゃしない。いつも余裕綽々のハイラ様はどこへ行った。
 こうやって自分を制御できないでいるのは、試合に負けたせいなのか。いま目の前にいる女にそんな無様な姿を見られてしまったからなのか。私が出てくるのを待っていたくせに労いの言葉ひとつ言わない冷たい女。いや、もしかするとここに居たのも偶然で、私のために来たわけじゃないのかもしれない。

「……非番だって言った?」

「うん」

「そう。それじゃ」

 言葉と同時に彼女の手首を掴む。相手の了承を得ずに、そのまま強引に歩を進めた。
 廊下の途中で、

「どうしたの? どこ行くの?」

と一度だけ訊かれたが、聞こえない振りをした。手を引かれるままに着いてくる彼女に抵抗する様子はない。
 
 自室に入り、扉を乱暴に閉める。その扉に彼女の身体を押し付けて首筋に唇を這わせた。束ねていない細い髪が舌に絡みつく。いらいらする。何もかもいらいらする。
 相手が抗議のような吐息のような声を漏らすのも無視して、事を続けた。既に男を知っている身体。私だけが触れた胸。滑らかな肌に吸い付き、赤い痣を刻み付けた。何度も。何度も何度も。

「……ここで、するの?」

「そう」

「なんか落ち着かないよ。寝台に……」

「いいから」

 余計なことに気を回す余裕があるなら、少しは集中したらどうなんだ。今まで以上に執拗に攻め立てると、彼女の口からは乱れた呼吸しか出てこなくなった。

「ねえ……。ハイラ、なんだかいつもと違う」

「そう?」

「試合の、後、だから……?」

 その時だった。彼女の吐息の合間を縫って、足音がこちらに近付いてくる。
 思わず動きを止めたことで彼女も音に気付いたらしい。ぴくりとも動かずに耳を澄ませていた。
 訪問者の足音が、私の部屋の前で止まる。

「ハイラ、いるか?」

 扉を叩く音と、聞き慣れた声が部屋に響いた。グレオニーだ。
 自分の部屋に戻ってきて、こうして突然事をおっ始めたのだから、もちろん鍵なんて掛けていない。あいつが物音に気付いて扉を開けたら、どんな事態になるのだろう。
 
 扉から離れようとしているのか、彼女が私の腕の中でもがいた。そんな彼女を見ていると収まりかけていた苛立ちが再び募ってきて、拘束する手に力を込めて行為を続行する。

 なんで逃げようとすんの? さっきまで、ノリノリだったくせに。
 扉一枚隔てて向こうに居るグレオニーには聞かれたくないってわけ? 私とこういうことしてるって知られたくないわけ? 
 なんで? 友達だから? 恥ずかしいって?
 それってさあ、友達だと思い込んでるだけで本当は違うんじゃないの。お互いに自分の気持ちに気付いてないだけなんじゃないの? だいたい、男女の間で友情なんか成立するもんなのかね。まあ、あんたは変わった女だから、そういうこともあるのかもしれないけど。

 事が露見したら、くそ真面目な友人は「お前、なに考えてるんだよ。そんな不誠実な関係お互いに良くないよ、やめろよ」みたいな言葉で説教をしてくるのだろうか。
 それとも言葉を口にする前に挫けて、びくびくとこちらの様子を伺うだけに留まるのだろうか。
 そもそも、グレオニーはどちらに忠告をするのか。私に? それともこの女に? 両方に?
 寵愛者は信頼する友人に諭されて、その後どういう行動に出るのか。考えを改めて、この関係に終止符を打とうとするのだろうか。

 グレオニーの足音が遠のいていった。こちらのわずかな物音や息遣いには気付かなかったようだ。
 途端に、彼女の体が緩んだのがわかった。もやもや感が再び勢いを増して私を覆い尽くす。気分が悪い。暗雲が重くのしかかったような、そしてそれが中を掻き回しているような、なんとも説明のできない感覚。
 目の前の、頬を赤く染めて汗ばんでいる女の姿が何故か無性に滑稽に見えてきた。小さな身体を軽く突き飛ばして距離を置く。

「悪い。一人にして」

 寝台に潜り込んで頭まで布を被った。
 やがて、扉が開く音が聞こえてくる。出て行ったと思わせて実はまだ部屋に留まっているのでは。そんな馬鹿な期待を少しだけ込めて布から顔を覗かせたが、扉の近くにも、部屋のどこにも寵愛者の姿は見当たらなかった。


  ◇  ◇  ◇
 
  
「それで? 知らない男に声を掛けられて?」

「うん、奢ってくれるって言うから」

「酒を一緒に飲んできたって? こんな遅くまで?」

「美味しいお店だったよ。今度、グレオニーも誘って一緒に行ってみる?」

 呆れて物も言えない。本当にこの寵愛者は、自分が女だという自覚があるのか。こちらがあからさまに不愉快だという表情を見せても、目の前の女は無邪気に首を傾げているだけだった。

 訓練場で珍しく朝から鍛錬に励み、そろそろ暗くなってくるという頃。
 そう言えば、今日はまだ寵愛者の姿を見かけていないなと、ふと気付いた。
 珍しく一緒じゃないんだね。暇そうにしていたグレオニーにそう軽く声を掛けてみたところ、

「ああ、レハトは今日非番だよ、確か。自分の部屋にでも居るんじゃないの?」

「いやー居なかったよ。暇なら一緒に食事でもって誘おうと思って、さっき俺、部屋に訪ねてみたもん。『レハト様は城下町にお出かけです』って側付きの侍従が言ってた」

と、別の衛士が会話に割り込んでくる。

「城下町に? 一人で?」

「別に大丈夫だろ。未分化の時みたく自分で自分の身を守れないわけじゃないし。あれでも一応、毎日鍛えてる衛士なんだから」

 その衛士が言うとおり、寵愛者は無事五体満足で城に戻ってきた。
 しかしその戻ってきた時間が問題なのだ。真夜中とまでは行かないが、そろそろ皆が就寝するという時間帯。正門の警備をしていたら、長い長い橋の向こうから寵愛者が姿を現した。そこでようやく、その時間までぶらぶらと城下町に居たという事実を知ったのだ。

「ああ~、今日の警備はハイラだったんだ。ただいま」

「……なにしてたの」

 暗がりの中、よく目を凝らして見ると少しだけ顔が赤い。側に寄ったらかすかに酒の匂いがした。
 そしてこんな時間まで何をしていたのか、という問いに、彼女は悪びれもせずにべらべらと今までに起きた出来事を喋り始めたのだ。酒のせいか、いつもより饒舌だった。

「あんたバカじゃないの? べろべろに酔わされて襲われるとか考えなかったわけ?」

「私、お酒強いし」

「そういう問題じゃなくて。力ずくでどこかに連れ込まれるとか……」

「短剣はちゃんと持ってたし。それにその人、そんな乱暴そうな人じゃなかったよ。ちゃんと紳士的に誘ってきたもん」

「誘って、きたって」

「でも侍従が心配するし、眠いから断って帰ってきたんだ」

 眠いから。
 じゃあ眠くなかったらどうするつもりだったのか。
 心配する侍従の存在がなかったら、ほいほいと男に着いて行く気だったのか。一夜を共にするつもりだったのか。今日初めて会った男と? どこで何をしているのかも知らない、下手をしたら名前も知らないような男と?
 
「ねえ、ハイラ。なんでそんなに怒った顔してるの?」

 その言葉で完全に頭に血が上った。それまでは上りつつあったという状態に近かったのだろう、と今更ながらに自覚する。
 そしてすぐさま我に返った。何故私がこんなに不機嫌になる必要があるのか。
 行きずりの者と肌を合わせる。何も珍しい話じゃない。自分だって身に覚えがないわけではない。そう、寵愛者の無用心な行為を咎める権利など私にはない。咎めたところで返される言葉はわかっている。

 なんでハイラにそんなこと言われなきゃいけないの?
 ハイラだって同じようなことしてるくせに。
 ハイラって私の何なの?

 そこまでならいい。しかし最後に思いついてしまった言葉で、私は思考を無理やり中断せざるを得なくなってしまった。

 何度も寝てるからって、勝手に恋人を気取らないでくれる?

 何故こうもすらすらとそんな言葉が思い浮かんだのか。
 私が普段、関係を持った女どもに使っていた言葉だったからだ。 

「……別に怒ってないよ。早く部屋に戻りな。侍従に叱られる前に」

 小さな背中を軽く叩いて、歩を進めるよう相手を促す。
 酔いのせいで、彼女の耳がほんのり赤くなっていた。上着を脱ぎ、薄着で無防備な身体を晒して、男と酒を飲んでいた寵愛者。部屋に戻っていく足取りもふらついている。
 部屋まで送っていくべきか、と考えてから思いとどまり、警備の仕事に就くべく自分の持ち場に戻った。
 ……その件の男は、酒を飲みながら彼女の身体に触れたりしたのだろうか。そんな考えが、仕事の間中ずっと私の頭から離れなかった。


  ◇  ◇  ◇


 仕事がひと段落し、一人になりたくて屋上に足を向けた。自室に閉じこもって酒でも飲もうかとも考えたが、今の鬱々とした状態だと悪酔いしてしまいそうだ。
 眺めの良いところで景色を堪能して。
 風に吹かれながら時折空を仰いで。
 暗くなるまでぼんやり過ごしていれば多少は気が晴れるのでは。
 ……我ながら気持ち悪い。いつも不健康な生活を心掛けているこの私が、雄大な自然の美しさで心を癒そうとしているだなんて。違和感があり過ぎて情けなくて反吐が出そうだ。

 ここ最近の自分らしくない言動の数々。それらを思い返すたびに頭を掻き毟りたくなる。
 何が原因かだなんて、とっくに気が付いている。気付いてて私はそれを認めたくないだけなんだ。

「何してるの? こんなところで」

 背後から聞こえてきた声に思わずがっくりと項垂れた。一人になりたくてここにやって来たのに、よりによって何であんたに出くわすの。

「別になにも」

「そう」

 これ以上はないというくらいに不機嫌さを主張した声を出してみたが、寵愛者には全く通じなかったようだ。その鈍感さは留まるところを知らず、床に座り込んでいる私の隣に腰を下ろす始末。
 だから何で隣に座るの。こうやって空気を読まないところはグレオニーそっくりだ。ああ、あれか。類は友を呼ぶってやつだ。

「ハイラは明日仕事? 早朝に当番入ってる?」

「いや、一日休み」

「じゃあ今夜行っていい?」

「だめ」

「なんで? あ、娼館行くの?」

「……」

 呆れ果てた視線を投げても、やはり彼女の表情は変わらない。首を傾げて私の返事を待っている。
 何故だか、初めて会話を交わした時の感情をふと思い出した。この強固で分厚そうな無表情を壊してやりたい。欲情にまみれた寝台の上ではなく、外界から閉ざされた自室ではなく、この場所で今すぐに。

 彼女の肩を抱き寄せ、ゆっくり顔を近づけて唇を重ねた。軽く啄むように。極めて紳士的に。
 始めから最後まで目を開けて様子を伺っていたが、彼女の瞼も閉じることはなかった。
 雰囲気ぶち壊しだよ、もう。
 こんな時に目を閉じない女なんて初めてだ。

 あれだけ淫らなことを何度もしておきながら、彼女と口付けを交わしたのは実はこれが初めてだった。求められたことはなかったし、私も要求したり迫ったりしたことがなかったから。他の女を相手している時は何も考えず無意識に貪っているのに、何故彼女にはそれをしなかったのか。理由なんて説明できない。ただ何となく、としか言えなかった。

 初めての行為に及んだというのに、寵愛者は何もなかったように平然としている。
 平然。呆然ではなく、平然。
 おもしろくない。ほんと、何なのこの人。
 驚いた表情を期待していたのに、慌てふためいて少しでも動揺するところを見てみたかったのに。これじゃ私が馬鹿みたいじゃないか。

「……もう娼館には行かないことにした」

 沈黙に耐え切れなくなり、彼女から視線を外して呟いた。しかし返ってきたのは、

「もしかしてお金ないの? 貸してあげようか?」

という、脱力するような言葉のみ。

 もう嫌だ。何でこんなに鈍感で変な思考の持ち主なんだ。そしてそんな女に魅せられてしまった自分も相当頭がいかれてる。認めたくない。自分で自分が信じられない。いったいどうしてこんなことになった。この女から逃げ出してしまえば元の私に戻れるのか?

 いや、待った。放っておいたら、またふらふら夜中まで一人で街を出歩くかもしれない。冗談じゃない。何をしでかすか予想もできないこんな女を城の外に放流したら、これまた予想もしない事態に陥って頭を悩ませる羽目になるのは目に見えている。

「……やっぱり来て。いや、夜になったら迎えに行くから部屋で待ってて」

「侍従にばれちゃうよ」

「いいから。私が行くまで大人しく待ってて。わかった?」

「身体洗いたいから、あんまり早くには来ないでね」

 そうやって、私が行為目当てに誘っていると決めてかかっている態度にも腹が立つ。今までの言動を思えば無理もない話だけど。

 どうぞ好きなだけ、身体を磨くなり髪を清めるなりしてくださいな。あんたが私に振り向くまで絶対に抱いてなんかやるもんか。どうしていきなり行為を固辞するようになったのか、その鈍感な頭で悩んで悩んで悩みまくればいい、困惑すればいい。
 見てくれや身体や技だけじゃなくて、中身も極上の男なんだと気付かせてやる。ありとあらゆる手を使って指一本触れずに。
 私をこんなにみっともない男にさせた代償は高いんだよ。徹底的に纏わり付いてやるから覚悟しな。

「ハイラ、お昼になに食べたの? なんか口がしょっぱいよ」

 袖でごしごし口を拭っている寵愛者が視界に入り、私は頭を抱えて深い深い溜め息を吐いた。目的が達成されるまでは、きっと何度も同じ仕草を繰り返すことになるのだろう。

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