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隠匿<前編>

2013.04.04 (Thu)
ほぼ、でっちあげの人物ばかりで話が進行します。
こちら反転で登場人物→成人前のヴァイルを斬っちゃった衛士とテエロ


隠匿<前編>


「やあ、待ってたよ。今まで雇っていた者が、急に体調を崩してしまってね、本当に困っていたんだ」

 今日から自分の雇い主となった男は、気さくな態度でそう言った。
 仕事を選り好みできるような立場ではないとわかっていながらも、貴族というからにはやはり高慢ちきな感じの人なのだろうか、とか、自分を雇うぐらいなのだから少ない給料で死ぬほど働かされるのではあるまいか、などと、この仕事が決まってから落ち着かない日々を過ごしていた。
 だが、初めて顔を合わせた主人は、自分の想像とは違って優しそうな笑みをこちらに向けている。

 杞憂とわかってほっとすると同時に、不安が頭をもたげた。
 こんな態度を示してくるぐらいなのだから、もしかしてこの人は自分の経歴を知らないのではないだろうか、と。
 何故自分を雇う気になったのか。後々、面倒なことになるのを避けるためにも、それだけははっきりとさせておいた方が良いのでは、との思いがよぎった。

「あの……お聞きしたいことがあるのですが……」

「なにかね?」

「……何故、雇ってくださったのでしょう。もしかしてまだお耳には入っていないのですか。俺、いえ……私は……」

「腕が立つのなら、それに越したことはないと思ったんだよ。小さい祭の樽抱え競争なんかで首位だったと天狗になっているような輩よりは、長く城のお抱えだった君を雇いたい、と思うのはそんなに不思議なことかな」

「……」

 そんな奴らと比較されたという事に、少し矜持を傷つけられた感じがした。だがすぐに、そのへんで腕自慢をひけらかしているような者と今の自分に、そう大差はないのだと思い知る。
 今までとは違うのだ。いい加減、過去にしがみついていないで自分の立場というものを自覚せねば。
 黙り込む自分の態度が反発の意と取られてしまったらしい。主人は苦笑して自分に言葉をかけてきた。

「納得できない、という顔をしているね」

「い、いえ。そういう訳では……」

「……実はね。君が察している通り、ここで用心棒をしてもらうにはひとつだけ条件があるんだ。これが呑めないというのなら、今この場で君を解雇するしかないんだが」

 やっぱりか。そう事がすんなりと進むはずがないと思った。
 とは言え、例えどんなに困難な要件を持ち出されたとしても、なかなか職が見つからない自分にはそれを受け入れるしか選択肢はないのだが。

「私には子が一人いるんだが……病気のため、産まれた時からずっとこの屋敷から出さずに育ててきた。彼女との接触は極力避けて欲しいんだ」

 主人が口にした内容に、しばし呆気に取られて言葉を失う。
 覚悟して待っていた自分に投げられた条件は驚くほど簡潔なものだった。

「……あ、あの。詳しく踏みこむのは失礼とはわかってお聞きしますが。それほどお悪いのですか? ずっと寝たきり、とか」

「いや、そこまでじゃない。屋敷の中で普通に生活する分には問題ない」

「……」

 では一体どういう病気なのだろう。普通に生活できるが、外には出せない? 彼女、と言っているのだから、子は成人した女性なのだろうと考える。それから、ああ、もしかして目立つところに大きい腫れものでも抱えているのかな、という結論に辿り着いた。しかし、それでもずっとここから出さずに育てたという事に多少違和感が残る。
 色々と想像するがどうもしっくりとこない。
 そんな自分の考えを読み取ったかのように、主人が言葉を続けてきた。

「そうだね、この病気や彼女について深く詮索しない、というのも条件のうちに入るかな。もちろん口外もして欲しくない。憚るような病ではないんだが、子が病気持ちだと言いふらされるのはあまり良い気分ではないからね」

「それは……もちろんです。ここで雇われる以上、屋敷内での事は一切外では口にしません」

「君が他に働き口を見つけるのは難しいだろうと知った上で、このような条件をつけて雇おうと思った。卑怯だと思われるだろうが……」

 やはり自分の過去を知った上での雇用だった、と主人の言葉で理解する。
 でも、こちらとしてはそれくらいの条件ならば願ったり叶ったりだ。路頭に迷うはめにならずに済んだことを有り難く思い、それを素直に言葉にした。

「とんでもありません。こんな自分を拾ってくださったことに、ただ感謝するだけです」

「では、成立だな。あとは執事にまかせるから。何かあったら彼に聞くといい」

 主人の視線が控えていた老齢の男性に向けられる。執事はこちらに軽く一礼してきた。

「……よろしくお願い致します」

 主人と執事に向かって、自分も深々と礼をする。
 こうして疑問を残しながらも新しい仕事場での生活が始まった。


  ◇  ◇  ◇


 用心棒と言っても、普通に暮らしていて剣を振るうようなことが頻繁に起こるはずもない。
 ここの主人もあまり外出をしないし、ごくたまに城に出向くようなことがあっても、主人に付き添わずに屋敷の警護をと厳命される。
 主人を護るのが用心棒というものだと思っていたため拍子抜けしたのだが、どうやら自分を雇ったいちばんの理由は、主人の不在時に屋敷に残される妻と子のためを思ってのことだったようだ。
 屋敷に閉じこもっていて、そうそう危ない目に遭うもないだろうに。少し心配のしすぎではないだろうか。それだけ家族を愛してやまない、ということなのかもしれないが。

 なんにせよ、やはり自分には貴族様の考えはよくわからない、と深く考えるのをやめ、芋の皮むきを手伝いながら使用人との雑談を続けた。

「……じゃあ、ご子息のお世話は全て奥様が?」

「そう。食事も奥様が運んで部屋で一緒に摂られるし。湯浴みや着替えやなんかもそうだね。さすがに寝室は別だけど」

「へえ……」

「そんなに病弱そうにも見えないし、ちょっと過保護なんじゃないかとも思うんだけどねえ。まあ、あの奥様は坊ちゃまが産まれた時からそんな感じだったそうだから。そりゃもう付きっきりで、少しでも姿が見えないとおろおろしてるのよく見るよ」

 これまでも奥方の姿を何度か見かけたが、確かに少し神経質そうな女性に見えた。直接声を掛けられたことはまだないが、あまり好意的ではない視線を向けられていた気がする。主人との印象の差に少し違和感があったのを覚えていた。

「坊ちゃまも年頃だってのに……。このまま病気だからって、一生結婚させない気なんだろうかねえ。不憫なことだよ」
 
 皮むきの手を止めて、使用人の老婆はが溜息をつく。
 まず驚いたのが、ここの使用人の数の少なさだった。初日に会った執事と目の前にいるこの老婆。そして昔からこの屋敷に居るという乳母しかいない。
 それほど仕事は多くはないのでこの人数でも問題はないみたいだが、こうして手が空くと手伝ってくれないかといろいろなことに駆り出される。用心棒というよりは、体力のある若い雑用係を求めていたのでは、とも思うようになってきた。

「病気ってことは、医者が頻繁に往診に来たりするのか?」

「いや、あの乳母って人が昔はそんなことをしてた人みたいでね。坊ちゃまが産まれた時に取りあげたのもあの人だって話だよ。何か軽い症状なら、わざわざ医者を呼ばなくてもあの人が診てそれで終わりさ。奥様が他の医者を信用しない、って言うのもあるみたいだけど」

 ここの使用人たちは親しみやすい雰囲気を持っていて、新しい生活に戸惑う自分にも様々な話をしてくれた。
 その例外が乳母という人物だ。一日の大半を部屋で過ごし、ほとんど姿を見たことがない。子が既に成人したというのに乳母が何のために居付いているのか、と少し不思議に思っていたのだが、医者という役目も兼ねて住んでいるのか、とようやく合点がいった。

「あんたみたいのが坊ちゃまに話しかけたりしたら、きっと奥様の雷が落ちるよ。気を付けなね」

「そんなことしないよ。向こうだって俺に話しかけてきたりするもんか」

 ここに来て日が浅いので、病気だと言う息子はまだ見たことがなかった。だが言われたとおり、こちらから近づいたり話しかけたりするつもりはさらさらない。来客はほとんどないし、多少変わった家ではあるのかもしれないが、仕事をするのに悪い環境ではないのは確かだ。また職を探す生活に逆戻りしないためにも、ここを追い出されるようなことだけは絶対に避けなければならない。

 こうして気易く話しかけてくれる使用人たちも、もし自分が過去に犯した出来事を知ってしまったら。同じように接してくれるのだろうか。
 そんなことを思いながら、芋の皮を剥く手を動かし続けた。


  ◇  ◇  ◇


 それは、いつも通りに外の見回りをしていた夜に起こった。
 そう広くもない庭を一通り巡り、そろそろ中に戻ろうかという時。一瞬、見慣れないものが目に入った気がした。ゆっくりと辺りを見回すと、少し離れた露台から一本の縄のような物が垂れ下がっている。
 あそこは確か、病気だという息子の部屋へと続いている露台はずだ。先ほどまであんな物はなかった。いくらなんでも近くを通って見逃すはずがない。事の異常さに気付き、踵を返して慌てて駆け出した。

 露台に至る途中で庭の隅にうごめく影を見つけた。
 こんな夜中に見るからに怪しい。
 走って距離を縮め、ねじ伏せようと腕を伸ばす。相手も抵抗を見せたが力は強くないようだ。手首を掴み、組み伏せようと体重をかけると、あっさりと相手の体が地面に沈む。それからようやく、相手がやたらと華奢な体つきをしていると気付いた。

「痛い痛い。痛いってば。離して」

 思いもよらない高い声の反応に驚き、押さえ付けていた膝や手を、つい緩めてしまった。
 その隙に、相手は自分から素早く離れて地べたに座り込む。

「もう……あなた、誰? ……ああ、わかった。最近うちに来た人でしょ」

 何が起こっているのか、頭で理解する前に相手が話し出す。
 声の感じからして相手は若い女のようだ。
 しかも、うちに、ということは、もしかして……。

「私、ここの息子よ。見たことないから信じてもらえないかもしれないけど」

 暗がりでよくは見えないが、確かに相手は女性の背格好をしているようだ。かろうじて手首をさすっているような動作が見える。

「あ、あの……ご子息様?」

「そう」

 茫然と立ち尽くす自分に向かって、相手が溜息をつくのが聞こえる。
 紐が垂れ下がっている露台を見上げると、窓の扉からわずかに灯りが漏れていた。相手が言っていることはどうやら本当のようだ。

「……何をして、いらっしゃったのですか?」

「散歩」

「散歩って……こんな夜中に?」

「だって出してもらえないんだもの。仕方ないじゃない」

「……ご病気だと伺っていますが……」

「そう、昼間の光が体に良くないんだって。だったら夜中なら問題ないでしょう?」

 今までの人は雑な見回りだったからうまくいっていたのに、とまだ彼女はぶつぶつと呟いている。
 そして、無礼な振る舞いをしておいて、まだ詫びを口にしていなかった失態に気付いた。

「も、申し訳ありませんでした。てっきり自分は賊か何かだと……」

「何もここから脱走しようっていう訳じゃないんだから、少し見逃してくれない? ようやくお母様と寝室が別になって、こうやって散歩できるようになったのよ。少しその辺を歩いたら大人しく戻るから」

「そんなことをして……お体は大丈夫なのですか?」

「問題ないわって言ったら、見逃してくれる?」

「……いえ」

「……くそ真面目なのね」

「……」

 それほど詳しく知っているわけでもないが、自分が思っていた貴族の令息というものとは少しかけ離れているような気がする。まあ、外にも出ずに、ここの中だけで育てられたのだから無理もないのかもしれないが。それを差し引いても、この言い草は少しひどくはないだろうか。

「見逃してくれないなら、さっきの狼藉を誇張してお母様に言いつけるわよ」

「なっ……!? だって、あれは……」

「心配なら一緒について来てよ。それならいいでしょう?」

「……」

 自分の返事を待たずに、彼女が立ち上がって闇に包まれた庭を歩き始める。
 ある事ない事を告げ口されて辞めさせられるくらいなら、と思い、仕方なく彼女の要望を聞くことにした。
 彼女に接触するな、という主人の言葉が思い浮かぶが、これは不可抗力だ。
 今夜だけだと自分に言い聞かせ、彼女の後に大人しくついて歩いた。


  ◇  ◇  ◇


「全然、自分では自覚はないんだけどね。でもあんなに心配する様子を長年見せられたら、大人しくしてるしかないじゃない?」

「……」

 庭に置いてある縁台に腰を下ろし、彼女は次々と愚痴を吐いてきた。自分はなんと答えたらよいものかわからず、早くなんとかして彼女を部屋に戻さねば、とひやひやしながら立ち尽くす。

「突っ立ってないで座ったら?」

「……ですが」

「話し相手に飢えてるのよ。いっつも同じ面々としか顔を合わせられないんだもの。少しくらい付き合ってくれてもいいでしょう?」

 そう言われて彼女の境遇に少し同情してしまったのものあり、渋々と隣に腰を下ろした。

 ……本当に病気なんだろうか。どう見ても健康そのものとしか思えない。
 闇に囲まれているため顔色はわからないし、腫れものらしきものも確認することはできないが、そういえば普通に暮らす分には問題ないと主人も言っていた。先ほど彼女が言っていたように、光にさえ当たらなければ問題ない、ということなのだろうか。

「そうだ。貴方、城から来たのよね?」

「……ええ」

「お城の話をしてよ。どんな所なのか聞きたいわ」

「話と言われましても……」

「普段、どんな生活をしていたの? お城の中ってどんな感じ?」

 そんな風に次々と質問をぶつけられ、とうとうこちらが根負けして答える形となってしまった。
 ここから出たことがないだけあって、本当に何も知らないのだな、と驚きながらも彼女の問いに受け答えをする。自分の言葉ひとつひとつに心底嬉しそうに彼女が反応し、その様子を見ているとだんだんこちらも嬉々としてしまう。ついつい時間を忘れて会話を続けてしまった。

 さすがにこれ以上はまずいと途中で我に返り、話を無理やり切り上げる。

「そろそろ戻りましょう。お体に障りますし」

「えー、もう?」

「健康な方でも夜は寝るものです」

「……じゃあ、明日。また同じくらいの時間にここに来て」

「……それは駄目です」

「産まれてからずっと閉じ込められてる私を憐れとは思わないの? 話をするくらいいいじゃない」

「なりません。それに、私は貴女のお父様に……」

「ああ……。近寄るなって言われた? そんなの言わなきゃわかんないってば」

「そういう訳には」

「どっちみち、明日も来てくれなきゃお母様に言いつけるわよ」

「……」

 飛び跳ねるように彼女が立ち上がり、そのまますたすたと露台の方へと向かって行ってしまう。慌てて後を追いかけながら、これは困ったことになった、と頭を抱えたくなった。
 主人の言いつけを破る訳にはいかない。しかし、理不尽な理由で辞めさせられるのもごめんだ。
 どうしたらよいものかと思い悩む自分に構わず、彼女は病気とは思えないほど素早く紐をよじ登り、気が付くと既に扉に手をかけて部屋へ戻ろうとしているところだった。

「じゃあ、また明日ね」

 扉の隙間から部屋のぼんやりとした灯りが漏れる。その灯りでやっと彼女の顔を識別できた。
 こちらに向かって笑みを浮かべている顔は、言葉を一瞬失ってしまうほどに美しいものだった。

「返事は?」

「……はい」

 彼女に見惚れるあまり、自分は思わずそう返事をしてしまっていた。


  ◇  ◇  ◇

 
 それからもずるずると、彼女との逢い引きを何日も続けた。
 夜中の見回りついでに庭の縁台に近づくと、彼女がいつもそこで待っている。そしてまるで子供のように駄々をこねては自分に話をせがんできた。

 会うたびに明日も来ないと母親に言いつけると脅す彼女。
 困り果てる自分をいじわるそうに笑う彼女。
 もうここまで来ると気持ちに嘘はつけない。彼女に惹かれ始めているのを認めざるを得なかった。
 主人の言いつけを破ってしまっている罪悪感に押し潰されそうにもなるが、彼女に会うことをやめる勇気も持てなかった。こうやってうまく隠れて会う分には構わないのでは。そんなことすら思うようになっていった。

 つまらないと思えるような自分の話にも、彼女はいつも興味津々という様子で聞いている。こちらとしては、そんな話よりも、彼女自身のことを聞きたくてたまらないというのに。
 そのうちに我慢が出来なくなり、思い切って話を切り出してみた。

「私の話ばかりではなくて、たまにはそちらの話もお聞きしたいのですが」

「私の? 面白いことなんてなんにもなかったわよ」

 その割には根暗になることもなく、よくもここまで朗らかな性格に育ったものだ、とつい苦笑してしまう。
 そんな風に、彼女の一挙一動に笑みを浮かべてしまうほど、今の自分は相当のぼせ上っているということにも気付いていた。

「その飾りはお父様からの贈り物ですか? いつも付けてらっしゃるようですが」

「これ? そう、年が改まるごとに毎年くれるの。お守りだからって」

「お守り」

「なんかこのはめ込まれている大きい石がね、そういう物らしいんだけど。そういう気遣いじゃなくて、ここから少しでも出してくれる寛大さが欲しいわよね。お父様ってそういうところが少しずれてるのよ」
 
 装飾物を指で小突いて彼女が呟く。
 言葉を返せなかった自分に、彼女が慌てて取り繕ってきた。

「あ、気にしないで。こうやって夜に散歩できるなら、それほど生活に不満がある訳じゃないから。お父様もお母様も、ばあやもみんな優しいし。昼間の暇の潰し方も長年でいろいろと習得してるしね」

 それが本音かどうかは自分にはわからない。しかし、きっと彼女は昔からこのように不幸な生い立ちに卑屈にもならずに、前向きな考えでここでの日々を過ごしていたのだろう。
 親に心配をかけないように。
 でも不満が爆発しないように。
 うまく自分の中で釣り合いを保ってきたに違いない。
 
 彼女の胸中を思うと心が痛んだ。
 そんなにも難しい病気なのだろうか。自分にできることは何かないのだろうか。

「私の話はもういいから。お城の話をもっと聞かせて」

「またですか? もうそんなに話すようなことは……」

「だってお父様に聞いても、そんなにしょっちゅう行くわけじゃないからわからないって、いつもはぐらかされるんだもの。ねえねえ、王様ってどんな感じなの? やっぱり威厳があって、どーんとしているのかしら?」

 その言い方に思わず噴き出してしまう。確かにある意味、現王は威厳に満ち溢れていて、そのような表現でもおかしくはないのかもしれないが。

「今の王は女性ですから。そういう言葉はどうかと……」

「あ、女の人なんだ。見たことある?」

「遠目に何度か。王息殿下もご一緒のところを」

 城の話はあまり気乗りしないのが正直な気持ちだった。自分が過去にしてきたことを思い出してしまうからだ。
 しかし彼女があまりにも喜ぶ様子を見せてくるので、いつもこうしてつい口が滑ってしまう。

「おう……? ああ、王子様ね。昔、本で読んだわ。『いたずら王子の冒険』っていう……」

「有名な本ですね。私も知っています」

「実際の王子もあんな感じ?」

「そんなに詳しくは知りませんが、ああいう感じではないことは確かですね」

「そうなの? じゃあどんな感じ? 頼りなくてひょろひょろとか?」

「ひょろひょろと言いますか……。普段から何かと斜に構えている態度を、何度かお見かけしたことがあります」

 いつもひねくれた顔をしている王の息子を思い浮かべ、ひょろひょろと言う彼女の表現も当たらずとも遠からずかもしれない、とまた苦笑してしまった。

「……なんだか性格悪そうな王子ね。そんなのが次の王様になって大丈夫なのかしら?」

「あ、いえ。殿下に徴はありませんから。陛下の甥にあたる方が徴をお持ちなので、次の王はその方になります」

「徴? なにそれ、徴がないと王様になれないの? どうして?」

 そんな無邪気な質問に、微笑ましく彼女を見つめていた自分の顔が凍りつく。
 ……ここから出たことがないとは言え、いくらなんでも物を知らないにも程があるのではないか。
 父親や母親は、この国の者なら知ってて当たり前のこんなことすら教えなかったというのか? 病気で外に出ることがないから必要のない知識だと? 
 いや、僻地の村の農夫というのならまだしも、貴族でそれはあまりに不自然すぎやしないか。

「だっていたずら王子はそうでしょ。王の息子が王子で、次の王様になるって書いてたじゃない。それとは違うの? ねえ、徴って? いったいなんなの?」

 黙り込んで固まっている自分に、尚も彼女は質問をぶつけてくる。
 ……ふざけている訳ではなく、本当に何も知らないようだ。

「ええと、その。徴と言うのは……」

 戸惑いつつ、一から説明しようと隣に視線を移す。ふと、彼女の額の飾りが目に入った。
 
 ……まさか。
 一瞬、突飛な考えが自分の頭をよぎる。
 いや、まさか。そんな。

「……? どうしたの?」

 彼女が首を傾げて自分を見つめてくる。自分の次の言葉を待っている。
 そんな彼女を見て、沸き上がってしまった疑念を確かめたい衝動に駆られた。恐る恐る震えながら彼女の額へゆっくりと手を伸ばす。彼女は何の警戒心も抱いていないようで、黙って大人しく座っていた。

 もう少しで飾りに指が触れるというその時。遠くの方で扉が開く音が聞こえてきて、反射的に腕の動きを止めた。

「……誰か起きてきたみたい。もう今日は戻るね」

 彼女が小さく囁き、自分の返事を待たずに走り去ってしまった。
 
 胸の動悸が収まらず、立ち上がることもできずにその場に留まっていた。やがて、灯りを持った何者かがこちらに近づいてくる気配がした。この場を去ったほうがいいだろうか、と考えていると、相手から先に声をかけられる。

「なんだい、こんな所にいたのかい。まだ見回り?」

 ぼんやりとした灯りで、ようやく姿を確認できる距離まで相手が近づく。使用人の老婆だった。

「い、いや。もう戻るところだ」

「それなら、こんな夜中に済まないけどちょっと来てくれないかい。厠の扉が外れそうなんだ。重くてあたしじゃどうにもできなくてさ」

「……ああ。わかった」

 逸る鼓動がまだ収まらない。うっすらと額に汗もかいていた。
 老婆の後について歩きながら、落ち着け、落ち着け、と頭の中で唱える。怪しまれないように、深呼吸を何度も繰り返した。

 辺りが暗闇で助かった。今の自分がどんな顔をしているのか想像もできないが、不審を抱かれるような面持ちをしていることだけは確かだ。
 ……きっと自分の思い過ごしだ。そんな馬鹿なことがあるはずがない。
 いや、しかし……。

 不吉なことを想像しては、それを振り払う。そうやって堂々巡りをするばかりで、納得のいく結論を見い出せないまま、老婆と共に屋敷の中へと戻った。

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