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随従<前編>

2013.06.06 (Thu)
女レハト、タナッセ、モルのその後の話です。


随従<前編>


「……なんだ、それは」

「犬。そこで雨に打たれて震えてたの」

 上目遣いでこちらを見上げる妻は、薄汚れた埃取りのような物体を大事そうに胸に抱えていた。すっぽりと彼女の両腕に収まるくらいに小さいその生き物は、体からぽたぽたと雫を絶えることなく滴らせ、ぴかぴかに磨き上げられた床や、彼女が纏っている衣服に大きな染みを作り続けている。

「犬だと言うことくらい見ればわかる。泥を撒き散らしながら中にまで連れてきて、どういうつもりだ、と聞いているのだ」

「ここで飼う」

「駄目だ」

 仁王立ちし、あらん限りの威圧を込めて即座に彼女の要望を撥ねつける。

 冗談ではない。生き物を飼うなど、そんな面倒なことはまっぴらごめんだ。こちとらお前の相手だけで手一杯だと言うのに。私の心労を増やして、それをほくそ笑んで楽しむのが妻の務めだとでも言いたいのか。
 次々といくらでも思い浮かぶ拒絶の理由を口にする前に、唾を飛ばす勢いでレハトが言い返してきた。

「えー!! タナッセ、つめたーい!! 信じらんなーい!! こんなに小さくて、びっしょびしょに濡れて寒くて震えてるのに。この大雨の中、また放り出せって言うの!?」

「何と言われようとも、駄目なものは駄目だ」

「……おねがーい」

「そんな顔をして媚を売っても無駄だ。その場限りのしおらしい態度にはもう騙されんぞ。お前と違って私は学習する能力がまだ廃れているわけではないのでな」

「ちっ」

「女性が舌打ちなどするものではない!!」

「だってー……。なにもそんなに、取りつく島もなく拒まなくたってー……。あ、わかった。タナッセ、犬が苦手なんでしょ」

 彼女が腕をいっぱいに伸ばし、抱いていた犬をずいとこちらに近づけてきた。思わず後ずさるが、レハトは意地の悪い笑みを浮かべながら、泥に塗れた犬を尚も押し付けようとしてくる。さらに後ろに下がるとまた犬を差し向けられ、調子に乗ったレハトがどたばたとどこまでも自分を追いかけ回してきた。
 逃げ続けていると、使用人らが自分たちの攻防を遠巻きに眺めながら、笑いを押し殺しているのが目に入る。モルもいつもの如く、無表情で銅像のように突っ立ったまま観察に徹していた。それらを横目で睨みつけながら、頭の中で愚痴をこぼす。
 
 どいつもこいつも。
 どうしてこの館には、無体を働くレハトを諌めようとする者が誰一人として居ないのだ。無駄な要求とはわかっているが、主を護るために彼女を抱え上げて押さえ付けるぐらいのことをしてくれても良さそうなものではないか。
 皆がレハトに甘いのは今に始まったわけではない。だが、ここの主がこんなにも汗をかいて困り果てていると言うのに、誰も手を貸そうとしないのは、いささか問題ではあるまいか。

「やめんか!!」

 走り続けることに限界を感じ、息を切らして怒声を張り上げた。
 そんな自分とは正反対に、レハトは全く疲れた様子も見せず不満げな顔を浮かべている。

「苦手なら苦手って言ってよ。そしたら納得するから」

「……苦手なわけではない」

「じゃあ、いいじゃない。うちで飼おうよ。皆もいいって言ってるし。ねー?」

 自分らを追いかけてきていた使用人たちが、彼女の問いかけに笑顔で一斉に頭を縦に振る。犬などに全く興味が無さそうなモルまでもが頷いている始末だ。
 ……裏切り者め。後で覚えていろ。
 それにしても、いつの間に皆の賛同を得ていたのか。ここの主の了承がいちばん後回しとは一体どういうことだ。
 味方が一人も居ないという絶望的な状況に陥れられ、それでも絶対に許すものかと、なんとかして拒む理由を考え続けていたが、

「はい。と言う訳で、タナッセ。洗ってあげて」

と、犬を押し付けられて反射的に手を出してしまった。途端に服が泥まみれになり、腕の中でもぞもぞと動く不気味な生き物に鳥肌が立ちそうになる。

「な、なんで私が……!! お前が洗ってやればいいだろうが!!」

「そうしてあげたいところだけど、もう城に行く時間だし。このどろどろになった服、着替えなきゃいけないし。犬に慣れる良い機会だと思って洗ってあげてよ」

「断る!!」

「みんな、手を貸したりしちゃ駄目よ。これは旦那様の試練なのよ。タナッセがさらなる高みへと辿り着けるかどうかは、皆の態度にかかってるからね」

「はいっ。承知致しました」

 彼女が述べる呆れ返るような弁舌に、使用人一同が声を揃えて笑顔で返事をする。
 自分の言い分は、完全に無視されていた。

「なっ……お、おい。ちょっと待て……」

「大人しそうな子だし、噛みついたりしないから大丈夫だよ。あ、私が戻るまでしつけもしておいてね。腕の見せどころだよ、タナッセ」

「し、しつけ!? 私はまだこいつを飼うことを許可したわけでは……」

「『どうだ、こんなにもお前の夫は頼りになるのだぞ』とか、そこで思わず私が『素敵! 抱いて!』って言いたくなっちゃうくらいの成長っぷりを期待してるからね。じゃあ頑張って!!」

 勝手な妄想をべらべらと繰り広げ、レハトが自分の部屋へと駆け足で去って行く。着替えを手伝うために、数人の使用人が慌てて彼女の後を追いかけて行った。
 手元に残された子犬は身の置き所が定まらないのか、絶えず私の腕の中でのそのそと動き続けている。おかげでレハトに負けないくらい衣服は泥に塗れてしまい、私のほうが早く着替えたいくらいだ、と頭の中で愚痴を垂れた。

 馬鹿馬鹿しい。こんなことに構ってられるか。
 そもそも、ここで犬を飼うのを許可した覚えはないのだ。
 
 近くにいた使用人に押し付けようと犬を突き出すも、

「奥様のお言いつけです」
「なりません」

と、皆が素早い動きで私から後ずさる。
 佇んでいるモルに目を向けると、諦めろと言わんばかりに無言で首を横に振った。お前までレハトの味方をするのか、と怒りが沸き上がってくる。
 そのうちに抱いていた犬がぷるぷると震え出し、体に付着していた泥を盛大に撒き散らす。泥が顔にまで飛び散り、それが合図だったかのように、使用人らがそそくさと姿を消してしまった。自分と犬、モルだけが場に取り残される。

 ……仕方ない。このままにして、この館を汚され続けては敵わない。
 とりあえず洗うだけは洗ってやろう。
 妥協した結論に辿り着き、いつものように妻の我儘に振り回されている自分に気付いて、溜息が漏れ出た。


  ◇  ◇  ◇


「用意だけは致しますが。奥様のお言いつけですから、洗うのは手伝いませんからね。いいですか。洗った後は、きちんと布で拭いて乾かしてくださいよ。濡れたままにしておくと皮膚病に罹ってしまいますからね」

 執事がそう言い残して、たらいと水が張った桶や布などを置いて庭を去っていく。大雨が去った後、空は広々とした綺麗な青空に面変わりしていた。そんな清々しい天気が恨めしくなるくらいに、自分の心はどんよりと重苦しくなる一方だ。
 本当に誰も手を貸さないつもりでいるのか、と館の方を振り返る。辺りはしんと静まり返っていて、誰一人としてこちらを窺ってくる様子は見受けられなかった。

 まったく。皆が一糸乱れずに主の命令を遂行するのは大変結構なことだ。その命が、自分の出したものではないのが腹立たしいところだが。
 ……別に犬が苦手だったり嫌いなわけではない。
 そう、ただ少し。
 ほんの少し慣れていないだけなのだ。

 抱いていた子犬をたらいの中に置くと、犬は心細そうに鳴き声を上げてこちらを見上げてきた。
 そうとも、何を怯えることがある。相手はこんなにもか細い鳴き声を喚くだけしか能がない、小さい小さい生き物ではないか。主導権はこちらにある。腕力に物を言わせることだって可能なわけだ。

「犬を洗うことなど造作もないわ。とりあえずは水をぶっかければよいのだろう?」

 そう呟き、水の入っている桶を手にしようとすると、横に佇んでいたモルが首を横に振る。やがて、湯気の立っている隣の桶を指差しながら自分に視線を向けてきた。

「……ああ、成程。水だけでは駄目なのか。……面倒だな。いいではないか、水だけでも」

 自分の言葉に、モルが執拗に激しく首を振り続ける。その真剣な表情から一歩も譲る気はないのが見て取れた。奴がこんなにも自己を主張してくるのは珍しい。
 なんだと言うのだ。お前はそんなにも無類の犬好きだったのか? そんなことは初めて知ったぞ。
 仕方なく、湯の入っている桶に水を少しずつ足し続け、適温になるよう調節した。その情けない自分の姿に溜息がまた出てしまう。
 ……どいつもこいつも、口だけ出して本当に手を貸さないとは。これでは、レハトと私、どちらがここの主だかわかったものではない。

「よし、できたぞ」

 苛々した気持ちを当てるように、適温になった湯を勢いよく犬にぶっかけた。
 モルが片手で顔を覆い、肩を落としているのが目に入る。

「なんだ、何が問題だと言うのだ。もっと丁寧にしろとでも言いたいのか? 犬ごときに、いちいちそんな気を遣っていられるか」

 用意された石鹸を泡立たせ、犬に触れようと手を伸ばした。すると突然、犬が怯えたように小さい唸り声を上げ始める。

「生意気に威嚇しているつもりか。無駄だ、無駄だ。お前の唸り声なんぞ……」

 余裕ぶって犬に泡を擦りつけていたら、それに抵抗しようとしたのか、犬が口を開けて手を噛もうとする仕草を見せた。咄嗟に犬から手を離し、素っ頓狂な声を上げてその場に尻持ちをついてしまう。
 なんだ、こいつは。大人しそうで噛んだりしないとレハトは言っていたのに。いきなり態度を豹変させて、油断も隙もあったものではない。
 さっさとこんな面倒な事は終わらせてしまいたいのだが、犬は今にも噛みついてやろうと待ち構えていて、とても触れそうになかった。

 思案に暮れていると、モルが急に前に進み出てくる。
 どうした、と問いかける前に、こちらが竦み上がってしまうような恐ろしい形相で、鋭く強い眼差しを犬に向けて放ち始めた。その視線に気付いた犬が一瞬体を震わせ、途端に大人しく頭を垂れて、また不安げな鳴き声を上げる。

「……」

 この隙に、と再び犬に手を伸ばした。先ほどまでとは打って変わって、乱暴な自分の手の動きにも、犬は大人しくされるがままになっていた。
 ……本当に、これでは誰が主かわからない。このままでは頼られるどころか、情けない醜態をレハトに晒しかねない。
 
 そんなことを思っていると、つい犬を洗う手に力が入ってしまった。しばらくは抵抗せずにいた犬だったが、遂に我慢の限界が来たのか、するりと自分の手を逃れ、力を振り絞るようにしてぶるぶると体を震わせる。体についていた多量の泡が私の顔や服に飛び散り、見るも無残な自分の姿の変わりように、今日何度目かわからない溜息が再び漏れ出てしまった。

「……笑いたくば笑え」

 振り向いて背後のモルの顔を見上げるが、我慢しているのかなんなのか、いつものように彼は無表情を貫いたままだった。


  ◇  ◇  ◇


 書斎に高く積み上げられた本の上に、たった今読み終えた本を更に積み上げる。
 よくぞこれだけ読破した、という満ち足りた気分で、目の前の数々の本を眺めた。自然と頬が緩んでくる。

「よし」

 犬のことが記された数多くの本を取り寄せ、連日睡眠を削ってそれらの全てに目を通した。犬という生き物に関しては完璧に理解したと言ってもいい。寝不足のため少し頭痛がするが、得た知識の量を考えれば、それくらいなんでもないと言えるくらいの充実感だった。

 本によれば、犬というものは、飼われている家の中で人間を観察して優劣順序をつけるという。誰が自分より下か、上か。それを見極めて、どの人間には従うべきかを判断するというわけだ。
 つまり。
 自分が普段から見せているような、ここの主だという威厳を見せつけてやれば、犬も私に従順な態度を見せるに違いない。
 服従の証として、まずは「伏せ」という行動をあいつに仕込まなければ。

 寝室の扉を開けると、私の姿に気付いた犬が一目散に駆け寄ってきた。
 余裕の笑みを向ける自分に、犬が不思議そうな顔を返してくる。腕組みをし、たっぷりの威厳をこめて命令を口にしてみた。

「伏せ」

 しばらく犬の反応を待つも、相手は何の動きも見せずにぽかんとこちらを見上げたままでいる。

「聞こえなかったのか? 伏せ、だ。伏せ!」

 少しだけ首を傾げた犬だが、やはり伏せの体制を取ろうとはしなかった。やがて欠伸をしながら、後ろ足で耳のあたりを掻き始める。
 ……なんだか馬鹿にされている気がする。
 何故だ。こんなにも威厳を放っているというのに。

「わからない奴だな。いいか、伏せというのは、こうやって……」

 無理にでも伏せの体制を取らせようと腕を伸ばすが、それをするりと抜けて、犬は勢いよく背後に居たモルの方へと駆け寄ってしまった。千切れんばかりに尻尾を振り続け、お座りをしてモルの顔を見上げている。
 その光景を目にして、嫌な予感が頭をよぎった。
 ……まさか、な。
 そう思いながら、モルに声をかけてみる。

「モル。ちょっとお前がやってみせろ」

 自分の命を受けて、モルが一瞬だけ戸惑う様子を見せた。いいからやってみろ、と再び命令すると、伏せの言葉を口にはせずに、彼が手のひらを下に向け腕を真っ直ぐに伸ばし、犬をじっと見つめ始めた。その手が一気に振り下ろされると、足元に居た犬がすぐさま腹這いの姿勢を取った。

「……」

 何故だ。
 何故、私の命令は聞かずに、モルの合図には反応するのだ。

 モルと自分との違いはなんだ、と考えを巡らせる。
 体の大きさか? それとも相手が縮み上がるような、その威圧的な睨み方を習得せねば、言うことを聞かせるのは不可能なのか?
 ……そうか、わかったぞ。手振りも必要なのだな。声だけでは、まだいまいち理解ができないのだろう。犬畜生というものはこれだから困ったものだ。

 再び挑戦しようとした時、部屋の扉が開いて掃除道具を手にした使用人が顔を見せる。

「あ、旦那様、ここにいらっしゃったんですか。申し訳ございません」

「いや、構わない。掃除か? ならば私は場所を移るが」

「いえ、先に他の部屋を片付けますので……。うわあ、もう伏せができるようになったんですか。旦那様、すごいですねえ」

 伏せの体制を取り続けている子犬を見て、使用人が感嘆の声を上げる。その声に反応した犬が、また尻尾を振りながら使用人の方へと駆け寄った。

「い、いや。私はまだ……」

「どおれ。おー、よしよしよし。かわいい子だなー。よーし、いくぞー。伏せ!」

 破顔して犬を撫でくりまわしていた使用人が、手のひらを下に向けてモルと同じような合図を示す。また犬がすぐに命に従って、伏せの体制を取った。

「……」

「賢い子ですねえ。大きくなったら、うちの番犬になれるかもしれませんね」

「番犬? そんなもの、うちには……」

「ああ、そうだ。奥様があと二、三日で戻ってくると先ほど報せが届きました。きっと奥様も、この子の様子を見たら喜びますよー。よかったですね、旦那様」

「……」

 二、三日か……と頭の中で呟き、なんとも言えない複雑な気分のまま、使用人にじゃれている犬を見つめ続けた。

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