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随従<後編>

2013.06.10 (Mon)
女レハト、タナッセ、モルのその後の話です。 完結しました。


随従<後編>


 誰彼と区別なく尻尾を振り続ける毛むくじゃらの新参者は、まだここに居付いて数日しか経っていないというのに、すっかり館の一員として皆に受け入れられてしまった。

「ほーら。たくさん食べて、早く大きくなれよー」

「どのくらい大きくなるかしらねえ。やっぱり犬は大きいほうが可愛いとあたしは思うんだよ」

「足が太いから、結構大きくなるんじゃないかなあ」

「可愛いよなあ。ころっころで、もっふもっふしてて。見ていて癒されるよなあ」

 皿に顔を埋め、一心不乱に餌を食べているだけで、奴は使用人らの心を鷲掴みにしていた。口を動かす暇があるならさっさと働かんか、と思わず彼らを叱り飛ばしてしまいたくなるのをぐっと堪え、顔中に餌をたくさんつけている犬を忌々しく見下ろす。
 こんな汚らしい獣のどこが可愛いというのだ。そこら中に毛を撒き散らし、手を差し出そうものなら、隅から隅まで涎まみれの舌でべろべろと舐められまくる。一時も休むことなしに放たれた矢の如く館中を走り回り、置いてあるもの全てが破壊されそうで気の休まる暇がない。

「少しは大人しくできんのか!! お前が止まっているのは、餌を食べている時と寝ている時だけではないか!!」

「きっと運動不足なんですよ。寝させてばかりいては、ぶくぶくと太ってしまいますよ」

「旦那様、庭にでも連れて行って走らせてみてはいかがですか」

「……」

 得意分野ではない言葉が使用人の口から飛び出て、ますます憂鬱な気分に拍車がかかる。
 何故、私が。お前らが連れて行けばよいではないか。
 そんなことを口に出すのはもう諦めた。どうせまた、奥様のお言いつけですから、と冷たく言い返されるのが落ちだ。

 外へと続いている扉を開けると、呼んでもいないのに、疾風が通り過ぎる勢いで犬が飛び出して行く。
 そのまま庭中を走り回るのかと思いきや、少し歩いては辺りを嗅ぎ回り、なかなか中で暴れていたようには走り出そうとしない。

「おい、走れ」

 言葉が通じるはずもなく、やはり犬は鼻をひくつかせては数歩だけ歩く、というのを繰り返していた。

「中ではあんなに走り回っていたではないか。ほら、とっとと……」

 近づいて行くと、気配を察知した犬が急に走り出した。さらに近づくと、また少し走り出す。
 ……こちらが動かなければ走らないのか? まったく厄介だな。

 小走りで庭を横切ると、犬が嬉しそうに自分の後を付いて来た。懸命に短い手足を伸ばして自分を追い駆け続ける姿は、はしゃいでいるようにも見える。何が楽しいのか、私にはさっぱり理解ができない。
 だが、これではこちらの体が持たない。そんなに体力に自信があるほうではないのだ。
 
 案の定、すぐに息が切れてしまい縁台にへたり込んでしまった。荒い息を整え、これではまたレハトに馬鹿にされてしまうな、と考えていると、自分が放っておいているのをいいことに、犬は前足で地面に穴を掘り出し始めた。止めろ、と声を荒げると、今度は植えてある花の匂いをしきりに嗅ぎ始め、手当たり次第に口に含み出す。
 ……このままでは庭が酷い状態になってしまう。しかし、足も息ももう限界だ。

「……モル」

 側に居たモルに声を掛け、自分の代わりに走り回れと目で命じる。
 彼がそれに無言で頷き、その大きな体を揺らしながら、自分の時とは比べ物にならない早さで庭を縦横無尽に疾走する。途端に犬が目を輝かせて、必死にモルの後を追い駆けていた。
 やれやれ。これで少しは良い運動になるだろう。
 息を整えつつ、しばらくその光景を見つめ続けた。

 もうそろそろ暗くなるという頃。これだけ運動させれば十分過ぎるくらいだ、と思い、縁台から腰を上げる。
 館に足を向けるも、犬はまだ足りないとばかりにこちらに近寄って来ない。追いかけて無理やり抱き上げようとしたが、まだ遊んでいると勘違いしているのか、犬は腕を伸ばした自分を振り返りながら逃げ回る。

「おい、待て!! 待てと言うのに!! 遊ぶ時間はもう終わりだ!! 戻るぞ、こら!!」

 追い駆けているうちに、毛に覆われた小さい体が門にまで辿り着いた。
 人が到底通り抜けられないような狭苦しい隙間も奴には関係がなく、そこから庭を抜け出そうと必死に体をばたつかせている。

「こっ……こら、待て!! そっちは駄目だ!!」

 間一髪で犬の体を引き抜き、捕獲に成功する。
 呼び戻しがきちんとできるようになるまで、庭と言えども放し飼いにするわけにはいかないようだ。脱走した途端に鹿車に轢かれでもしたら、夢見が悪いことこの上ない。
 犬は自分の腕の中から逃れようと、四肢を懸命に動かし続けている。手の甲や腕に、引っかき傷がどんどん増えて行った。

 こんな狭い所で飼うべきではないのだろうか。
 いくら皆やレハトが可愛がろうとも、それはこちらの傲慢であり、こいつはもっと広い所で好きに生きたいのかもしれない。ここで養われるよりも、行きたい所へどこへでも行ける自由を欲しているのかもしれない。

 闇雲に暴れる犬の動きに、少し胸が痛くなった。


  ◇  ◇  ◇


 深夜。
 明かりを片手に、犬を庭へと連れ出した。外へ出たがる犬が寝室の扉をかりかりと掻き続け、その音に苛々として眠れなくなったためだ。
 また脱走されないよう紐を犬の体に巻き付け、その端をしっかりと握り締める。慣れない物を付けられているのが気に食わないのか、犬はしきりに後ろ足で紐を引っ掻いていた。

「仕方が無いだろう。こうでもしないと、またお前は逃げ出そうとしてしまうではないか。こんな暗闇の中、お前と追い駆けっこを繰り広げる気は無いぞ」

 それでも、どうしてもなんとか紐から抜け出したいのか、突然、犬がごろごろと地面に転がり始めた。みるみるうちに犬の体が土まみれになる。
 ……こんな時間にまたこいつを洗えというのか? 暴れまくる体が乾くまで、また布で拭き続けてやらねばならない、あの悪夢のような時間を再び繰り返せと?
 寝ているところを起こされただけでも気分が悪いと言うのに、傍若無人っぷりを遺憾無く発揮する犬にほとほと嫌気がさしてきた。

「おい、止めろ。どうしてお前はそう手間ばかり……」

 地面に体を擦り付けたことで、縛っていた紐が緩んでしまったらしい。伸ばした手をするりと犬が避けて、紐だけを残して、あっという間に暗闇へと走り出してしまった。

「なっ……、おい!! 待たんか!!」

 後を追い駆けようと足を踏み出した。だが、すぐに思い留まり、犬が駆けて行ってしまった方向をしばし見つめてから館へと足を向けた。
 途中、付いて来ていたモルが恨みがましそうな目でこちらを見ていることに気付く。

「……腹をすかせたら、すぐに戻ってくるだろう。放っておけばいい」

 寝室に入り、椅子に座りこんで溜息をつく。
 そうとも。自分が泡食って探したりなどしなくても、すぐに戻ってくるに決まっている。餌の匂いを嗅ぎ取れば、心配していたこちらが馬鹿だったと思えるくらいの勢いで、どこからともなく駆け寄ってくるに違いないのだ。
 例え、戻ってこなかったとしても構うものか。もとから、ここで飼う気はさらさらなかったのだ。追い出した訳では決してない。外に出たそうだったから、自分はそれを叶えてやった。そして、向こうが自分を振り切るように勝手に出て行ってしまったのだ。
 一度も振り返ることなく。ためらいも見せずに。

 だが、そんな言い訳を見透かしているように、モルは相変わらず無言のまま自分を見つけ続けている。

「……そんな目で見るな。仕方がないだろう。逃げた犬に私が追いつけるはずもない」

 たまらず彼から目を背け、項垂れて静かに呟いた。

 昼間に考えていたことが再び思い起こされる。
 例え餌の心配がなくなろうとも、何かに襲われる心配がなくなろうとも、無理やりここに縛り付けておくよりは、好きなところで好きに生きたほうが犬にとっても幸せかもしれないではないか。尤も、犬が何を考えているかなんて、言葉が通じないのでわかるはずもないのだが。

 ……いや。
 言葉が通じても、何を考えているのかわからないのがここに一人居たな。

「……私を恨んでいるか? あの犬のように、紐で縛り付けるようにお前を離さなかった私を」

 項垂れたまま、背後に居るであろう相手に言葉を投げかける。
 いつものようにどうせまた何も言わないのだろう、と決めつけ、返事を待たずに言葉を続けた。

「城を離れる際、他の選択肢もあったと言うのに、私は我が儘を貫いてお前をここに、私の側に縛り付けた。本当は、ここ以外のどこかへ行きたかったのではないか? 故郷に戻りたかったとか、城から離れたくなかったとか。……お前はいつも何も言わないからな」

 振り向くと、モルは首を横にも縦にも振らずに、ただひたすらに座っている自分を見下ろしていた。
 余計なことは一切口にしない。昔から、初めて出会った時から彼のその態度は一貫していた。
 だが、その目が。
 語りかけてくるようなその強い眼差しが、時には叱咤し、諭し、励ましているように自分には感じられた。目は口ほどに物を言うとは良く言ったものだ。

 いつまでも続く沈黙と、モルの強い視線に耐えきれなくなり、降参とばかりに溜め息を吐きつつ椅子から立ち上がった。

「わかった。わかったからそんな顔をするな。探せばいいのだろう。皆を起こして、館の周りを回ってみよう」

 その言葉に、やっとのことでモルが幾分安堵したような顔を見せた。
 
 こんなことなら、早く名前をつけるべきだったな。
 名前を呼ぶこともできずに、この暗闇では、探し出すのに時間がかかってしまいそうだ。


  ◇  ◇  ◇


「たっだいまー。あー疲れたー。うわあ、ちょっと居ない間になんだか大きくなったみたい。犬の成長って早いねー」

 ようやく城から帰ってきた妻が、館に入ると同時に、耳にきんきんと響くような元気な声を上げた。
 レハトを見つけるなり犬が一目散に駆け寄って行き、満面の笑みで彼女がそれを抱き上げる。久しぶりの対面となる夫への抱擁も無く、代わりに犬への暑苦しい頬ずりをレハトはいつまでも続けていた。

「連れて来たよ、新しい人。ヴァイルがさ、この期に及んでやっぱり手放したくないってごね始めちゃって。だからちょっと時間がかかっちゃった。往生際が悪いよねー。一旦は承諾したのに」

「あいつが渋るくらい、腕はお墨付きというわけか」

「まだ若いけど頼りになるって言ってたよ。あ、遠慮しないで入ってきてー。早く早く」

 まだ開け放しになっていた扉に向かってレハトが声をかけると、若い衛士がおずおずと中を窺いながら姿を現わせた。
 誰かを思い出させるようなその大きい体が、私の存在に気付くと同時に直立不動に姿勢を正す。

「こ、この度はお目にかけていただき、誠に光栄に……!!」

「ああ、そう固くならなくてもいい。慣れない土地で不便だろうが、そうそう危ないことも起きないだろうから、気楽に過ごしてくれ」

「……前任の方に比べれば、私なぞ、ひよっこのような者ですが。精一杯勤めさせていただきます。よろしくお願い致します」

 生真面目な性格の者らしく、若い衛士は勢いよく直角に腰を曲げて挨拶を述べた。

 ふと、犬を抱いたままのレハトが、犬に付けられている首輪に気付き、驚いたように私の方へと視線を移す。やがてその顔は笑顔に変わるが、先ほどまでの満面の笑みとは違い、少し寂しそうな、戸惑いがちな笑みだった。
 彼女が思っていることが、わかりすぎるくらいに伝わってくる。

 もう本当に踏ん切りをつけねばいけない。
 自分たちを護り続けたあの寡黙な人物は、二度と帰ってこない。新しい者をこうしてこの館に迎えた以上、現実を受け入れなければならないのだ、と。

 その事実から逃げているつもりはなかったが、新しい護衛を雇うことを自分たち二人はいつまでも口にしなかった。
 何かあってからでは遅い。物騒な土地ではないと言っても、護衛の居ない状態を指を咥えて黙って見ているわけにはいかない。そうしつこく口にするヴァイルに根負けし、重い腰をようやく上げたのは自分よりもレハトが先だった。

「……その、付いている石。綺麗な石ですねえ」

 衛士が、彼女が抱いている犬を見て呟く。
 先日、やっと出来上がった犬の首輪には、青い小さな石がはめ込まれていた。

「ああ……。あいつの……、モルの使っていた剣に付いていた物の一部なんだが……。やはり、前任者の私物が目に入るのは気に障るだろうか。他には何も残してはいないが、気になるようなら首輪もすぐに取り替えさせよう」

「いいえ、決してそんなことはありません。お気になさらないでください。……大変、ご立派な方だったと伺っております。私も負けないように努めを果たすだけでございますから」

 この分なら何の心配いらないかもしれない。若いと言ってもしっかりしていそうだ。
 どうだ。お前も、そう思うだろう?

 頭の中で呟いて背後を振り返ると、目に入ったのはあの大きな体ではなく、見慣れた壁の模様だけだった。

 一瞬だけ、心臓が大きく脈打つ。
 しかし思っていたよりも虚脱感や胸の痛みは無かった。新しい護衛が来たら、もしかしたら、と心のどこかで自分はわかっていたのかもしれない。

 ……安心したか? 頼もしそうな奴が来て。
 そうだな。護衛一人だけじゃなく、犬まで一匹増えたことだしな。頼もしい番犬になるかどうかはまだわからんが。

「なに、一人でにやにやしてるの?」

「いや、別に」

「……明日、お墓参りに行こうか。貴方も一緒に行こう、モルに挨拶しておくといいよ。彼も、喜ぶと思うから」

「あ、はい。連れて行っていただけるのでしたら、それはもう。いつかはご挨拶させていただきたいと私も思っておりましたので」

「この子も連れて行って見せてあげなきゃ。モル、犬嫌いじゃないかな。あんなでっかい図体で、意外と苦手だったりしたら、中で冷や汗垂らすかもしれないね」

 いや、その心配はないぞ。無表情で犬とじゃれ合うあいつの姿を、お前にも見せてやりたいくらいだったよ。
 口に出しては言えないその言葉を頭の中で呟き、ただ笑顔でレハトを見つめ返した。
 
 床に下ろされた犬が、鼻をひくつかせて部屋中を歩き回る。うろうろと落ち着きなく、まるで誰かを探しているかのように。
 あいつを探しているのか? 
 もう居ないんだ。探すだけ無駄だぞ。
 そう、行ってしまったんだ。いつまでも頼りない私を、情けなくずるずると思い出に浸り続ける私を見守ることに、ようやく見切りをつけて。

 ……まったく。そんなに犬が好きだったのなら、早く言ってくれればよかったではないか。
 本当にお前は。いつもいつもそうやって口を閉ざして。最後に居なくなる時まで、挨拶の一つも無しにこのざまか。
 まあいい。いずれ私も向こうに行ったら、お前が羨ましがるくらいに犬の話を聞かせてやろう。
 あの時、庭でしかめっ面のまま犬と走りまわっていたお前は結構見ものだったぞと、声を大にして笑ってやる。

 かつての護衛にそんな言葉を投げかけ、犬の首輪に付いている青く光る石を見つめた。
 涙は、もう出なかった。

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