スポンサーサイト

--.--.-- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

主従 <3>

2013.02.25 (Mon)
女レハト王様、グレオニー側付き護衛、テエロの その後のお話です。
レハトさん、喋りまくります。

主従 <3>


 グレオニーが捕えた者の取り調べと、舞踏会で私が恫喝されたと報告したことで計画が明るみとなり、急ぎ貴族の男の身柄を拘束する通達が下された。もちろん、その男が捕えられることはなかった。テエロがどこかへ死体を持ち去ってしまったのだから当たり前だ。今でも捜索は続けられているが、このまま行方不明という結果になるのだろう。
 中庭に呼び出されはしたが男は現れなかった、と私は証言した。他にも仲間がいるのではとの声も上がったが、城の者たちの調査ではそこまで掴めなかったようだ。当然、私はテエロから詳しい報告を受けて詳細を把握していた。

 あの舞踏会の翌日、衛士の死体が一体発見された。外傷は見当たらず、何か病気だったのではと結論づけられたが、男が言っていた「息のかかった衛士」とはきっとこの者だったに違いない。あの時、私のもとへ駆けつける前にテエロが片づけたのだろう。

 テエロから報告を受けた時、男の体を使ってどう警告するつもりなのかと聞いてみた。しかし、聞かない方が良いと思いますが、とだけ言われ、何も教えてもらえなかった。
 効果は大いにあったようで、それきり妙な動きがあったという話は入ってこない。

「体はいろいろな使い道があるんですよ」

 どういう意味でテエロが言ったのかはわからないが、敢えて深く追求しないでおいた。何もわざわざ気持ちの悪い話を根掘り葉掘り聞き出す必要もないだろう。この男が生易しい脅迫をするとはとても思えない。

 それからはとりあえず平穏な日々が続き、今は平和そのものである。
 そして、さらに数年が経った。


  ◇  ◇  ◇


 衛士たちは我慢をしすぎる。いったい自分の体を何だと思っているのか。
 苦虫を潰したような顔をして、医士頭となったテエロがそう怒鳴りこんできたのは去年のことだ。
 やはり他の部署と比べ衛士達は怪我が多い。訓練中に負ったすり傷切り傷、打ち身などがほとんどらしいが、彼らは我慢強いのか、見栄っ張りな性格なのか、もうどうしようもなく辛抱できないほどの痛みになってから慌てて医務室に駆け込むことが多いという。

「たいしたことはない」
「これしきの怪我で医務室に行くほど自分は脆い体ではない」
「衛士たるもの、少しくらいの痛みで騒いではならぬ」
「痛みに騒ぐのは女々しい者のすることだ」

と、傍から見ればなんとも馬鹿馬鹿しい見栄なのだが「何故、こんなになるまで放っておいたのか!!」という怒鳴り声が医務室から聞こえてくるのは日常茶飯事である。
 そこで、城の者全員とは言わないが、せめて衛士たちだけでも定期的に診察を、とテエロを筆頭に医士達が申し出てきた。すぐに処置さえすれば数日で治るものを、我慢し続けたせいで完治が長引くという患者が多すぎる、というのだ。

「そんなこと言わないでくださいよお。先生ならちょちょっと治せるでしょう? 次の試合にはどうしても出場したいんですよお」

「馬鹿を言うな!! 医者は万能ではない!! 自分の体調管理もできず何が城を守る衛士か!!」

というやりとりに、もう心底疲れ、呆れ果てたそうだ。衛士達はあまりにも自分の体を過信しすぎる。完治までに要する薬草等の消費も馬鹿にならない、ということだった。

 反対する理由があるはずもなく、すぐにその提案は実行に移された。
 診察を受けない者は御前試合に出場する資格も持たない、休暇も与えない、という更なる規則を定めたおかげで、初めは面倒だと思っていた衛士たちも素直に従ったようだ。相変わらず、やせ我慢が限界に達してから医務室に駆け込む衛士は後を絶たないようだが、それでも以前に比べ、だいぶ数は減ってきたとの報告を受けたのが最近である。

 そんな時、城から遠く離れた僻地に腕利きの医者がいるという噂を耳にした。
 もうかなりの老齢のため、近隣の者の治療で細々と身を立てているそうだが、最近では評判を聞きつけて、かなり遠くの土地からわざわざ治療を受けに訪れる人が増えているという。
 その医者を今度の診察に呼んでみてはどうか、と私はテエロに切り出してみた。

 案の定、彼は拒絶の意思を体中で示して見せた。まるでお話にならない全貌を聞くまでもない、と言わんばかりに、歓迎しない来客のせいで中断していた薬草練りをまた続行する始末だ。
 しかし城で働いているという医士たちの高い矜持を傷つける言動だと、こちらも十分承知している上での提案である。そう簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

「どれだけ腕が良い医者かは存じませんが、本気でそのような馬鹿げたことをおっしゃっているのか。それともなんですか? つまり陛下は私どもの腕を信用していないと」

「とんでもない」

「では他に何か、私らが納得する理由があっての発言ですか」

「……」

「彼の腕はこれ以上回復の見込みは無いと、まだ納得いただけないのか」

 あれから月日が経って自分では納得したつもりだった。何よりグレオニー本人が納得しているのだ。本心まではわからないが、少なくとも自分の前で彼はそう振る舞っていた。ならば私も同じように振る舞うしかない。私のせいで傷を負ったのだから、いつまでもそれを気にしてるそぶりを見せるわけにはいかなかった。

 しかし評判の医者の話を聞いて、思わず胸が高鳴ってしまったのも事実だ。完治は無理でも、もしかしたら少しは良い方向に向かうのでは。つい、そんな期待を抱いてしまった。
 城の医士たちを否定しているわけでは決してない。むしろ感謝してもしきれないくらいだ。
 それでも考えずにはいられなかった。何か突破口が見えるのではないかと。
 どうやら自分は諦めが悪いところはちっとも成長していないらしい。

「腕の回復が無いのはもうわかっているわ。今の状態を保っているのは貴方達のおかげです」

「職務を全うしたまでです」

「無茶だとわかっている上でお願いしているの。気分を害した申し出ということもわかってる。貴方の気が済むまでいくらでも頭を下げるわ」

「彼にはなんと説明するおつもりですか」

「説明しません」

「彼は勘付きますよ。自分一人の為に、わざわざ外部の医者が呼ばれたのではないかと」

「……」

 重い沈黙が続く。長く長く、このまま押し潰されてしまうのではと思うほどに。
 駄目だった。やはり無謀な試みだったのだ。自分の短絡思考に眩暈さえしてきた。説得できるだけの材料を碌に用意もせず、鼻息を荒くしてここに乗り込んできた自分のなんと愚かなことか。あの頃からちっとも成長していないではないか。
 もうここに居る意味はない。自分がすべきことは他にあるはずだ、とさっさと気持ちを切り替えて腰を上げようとした時に、テエロが静かに呟いた。

「では、私の強い希望で仕方なく呼び寄せたということにしましょう」
 
「……」

 何を言われたのか咄嗟に理解できなかった。
 ぼんやりと彼の顔を見つめ、許可が下りたのだと理解するのにだいぶかかった。予想外の結果に頭が追いつかず、機嫌を損ねる前に早く何か感謝の意を示さなければ、と思うが、焦れば焦るほど言葉が出てこない。しかし自然と笑みはこぼれてくる。
 そんな私に対し、テエロは冷淡な声で突き放した。

「勘違いされては困ります。貴女の気持ちを汲んだわけではありません。評判の医者というのがどれほどのものか、私も少しは興味がある」

 彼なりの気遣いなのだろうか。それとも本音を言っているのか。無表情を貫く彼からはまったく読み取れなかった。

「ただ条件が一つ。私も側について監視させていただきます。勝手な診断を下されては困りますから」

「もちろんよ。……感謝します」

「浮かれた足でそのままお戻りにならないよう。どこで誰が見ているかわかりませんので」

 そう言って、彼はさっさと隣室へと去ってしまった。
 後に残された私は立ち上がる気力もなく、しばらくその場に留まって、テエロに言われた通り気持ちが鎮まるのを待ったのだった。


  ◇  ◇  ◇

 
 衛士たちの診察は滞りなく順調に進んでいた。自分の横に座っている老婆は、落ち着いた雰囲気を崩すことなく、次々と診断を下して捌いていく。外部の医者の列席という異例の事態にもかかわらず、この様子では何の混乱も無く終わりそうだと安堵した。
 老婆がまず診察し、医士頭殿はどう思われるかと一応自分にも伺いをたててくる。特に打ち合わせをするでもなく自然とそうした流れとなったが、今のところ二人の意見が異なりぶつかり合うということはなかった。

「そうだね、酒はもう少し控えたほうがいい。この目の白い部分が黄色がかっているのは、度が過ぎているという証拠だ」

「気を付けてはいるんですがねえ……、どうにも我慢ができなくて」

「酒は毒にも薬にもなるからね。長生きしたけりゃ節度をわきまえることだ」

「はい、ありがとうございました」

 衛士が礼をして去っていく。
 前にもこの衛士には酒を控えるよう忠告したと自分は記憶しているが、ちっとも懲りていない様子に少し腹が立った。
 まったく……。この自分だけは大丈夫という過信はいったいどこから出てくるのか。こうも無骨な輩ばかり診ていると、自分から言い出したこととは言え、さすがに苛立ってくる。
 そんな自分の様子をよそに、老婆は淡々と自分の仕事をこなしていた。
 この老婆の腕が良いという世評は本当のようだ。迷いもなく正確な判断を下す。しかし肩透かしを食らったというか安堵したと言うべきか、とりたてて新しい試みを見い出すことはできなかった。従来、城で行っている治療となんら変わらない。目新しい薬の配合があるというわけでもなさそうだ。

「次で最後かね」

「そうですね」

 そう言って、最後に残った一枚の書類を老婆に手渡した。衛士一人一人の年齢、性別、状態などをこと細かく記載してある書類だ。
 老婆はゆっくりと目を通していたが、その視線がある箇所で止まる。

「……おや、右腕が」

「ええ。経過観察というか現状維持に努めてはいますが」

「ちょっと傷の場所が悪かったねえ。もう少しずれていればなんとかなったかもしれんが。この状態で衛士を続けているのかい?」

「王と、本人たっての希望ですので」

「ま、診てみようか」

 傍らに置いてある鈴を鳴らし入室の合図をする。すぐに体格の良い衛士が扉から姿を現した。件の王の側付きの衛士だ。
 他の横柄な衛士たちと違い、彼はいつも遠慮がちにこの部屋を訪れるが、今日は見知らぬ人物がいるためかさらに緊張しているように見受けられた。
 椅子に座るよう促し、衣服を脱ぐよう指示する。鍛えられた上半身が露わになった。左腕に比べると幾分か細い右腕、そしてその上部に刻まれた古傷が彼の症状を物語っている。

「名前を」

「グレオニー・サリダ=ルクエスです」

 書類に記載されている名前と一致しているのを確認してから、診察に移る。
 老婆は今まで全員の衛士にそうしてきたように、目、口の中、首まわりを診ていた。そしておもむろに彼の右手を手に取ってから、しわがれた声を出す。

「力いっぱい握ってごらん」

 一瞬、彼は戸惑った様子を見せたが、すぐに言われたとおりに手に力を込めたらしかった。顔をしかめて必死に皺だらけの老婆の手を握り返そうとしているが、傍から見れば、それは軽い握手程度のものにしか見えなかった。

「痛みはあるかい」

「雨の日は少し、痛みます。温めれば楽にはなりますけど」

「ふうむ……」

 その後も老婆は右腕を上げたり下げたり、回したり、上腕や肩や背中を触診したりしていた。
 彼は最初は大人しくされるがままになっていたが、しばらくするとさすがに不安になってきたようで、ちらちらとこちらの様子を伺うように視線を向けてくる。自分の患者を玩具にされているようで気分が悪いのが正直なところだが、それを表に出すほど自分は幼くはない。大事ない、という意思を示すためにも私はただ黙って静観していた。彼もそんな私を見て幾分安堵した様子を見せる。

「無茶な鍛え方は却って他の部位を痛めるよ。ずいぶんと背中が張っている。ここの先生の言うことをよく聞いて養生するんだね」

「無茶……はしていないつもりですが」

「あんた、王の側付きなんだろう? 体を休めることも仕事のうちと考えるくらいの余裕がないと、護られる方もたまったもんじゃないよ。いつかガタがきて、いざという時に役に立たなかったらどうするんだい」

「……仰るとおりです」

 やり込められて、彼は体を小さくして項垂れた。
 自分もそうだと自覚しているが、医者というものは歯に衣を着せぬ言い方をする者が多い。この老婆も例に漏れず、駄々をこねる衛士たちに対して、このようにずけずけと意見していた。
 他は特に問題ないということで診察は終了し、彼は衣服を纏ってから礼を述べ、その場から退出した。
 老婆は椅子にもたれかかりながら溜息をついている。やっとひと息ついて、さすがに疲労を感じたようだ。そんな様子を横目に私は書類の整理を始める。

「あれは駄目だね。あたしも同じ診立てだ。これ以上良くはならないだろう」

 ふいに、老婆はそう口にした。

「彼もそれは承知です」

「気長に療養するしかないねえ。まだ若いのに気の毒なことだ」

 やれやれ、と老婆は立ち上がり、仕事道具を片づけ始める。慣れない場での仕事からさっさと解放されたいようだ。長旅の疲れもあるのだろう。
 今日はこのまま城に滞在してもらい、明日、城の鹿車で老婆の住み慣れた村まで送り届けることになっていた。慌ただしいことだが、気になる患者を残しているから、できることなら日帰りしたいくらいだ、と彼女は言っていた。留守の間は助手が手当てをしているらしい。最近はさすがに訪問する人の数が多くなりすぎて、数人の助手を雇い始めたと聞いていた。

「長々とお疲れ様でした」

「やはり歳には勝てないね。昔はこれくらいの人数も難なく捌けたもんだが」

「今、部屋まで案内させますのでゆっくりお休みください。……ところで」

と、一旦間を置いて、私は先ほどから気になっていた疑問をぶつけた。

「腕のそれは痣ですか?」

「あ? ああ、これかい?」

と言い、老婆は袖をまくる。腕に真っ黒い痣のようなものが刻まれていた。
 先ほど老婆が手を洗うために腕まくりをした際、ちらりと見えてから気になっていたのだ。何かの紋様のようにも見えなくもないが、老婆がすぐに裾を戻したため見極めることはできなかった。

「生まれつきのね。普段は包帯を巻いたりしてんだけど、ここに入るのに取られちまったのさ」

 入城の際に持ち物のみならず、身体も検分されたらしい。不審なもの、危険なものを持ちこんでいないかどうか、この腕に巻かれた包帯の中に何か隠しているのではないか、と取ることを強要されたとのことだった。
 確かに城に出入りする者の検分は重要なことだが、いささかやりすぎではないか。
 すぐに無礼を詫びたが、後ろめたいことはしていないので別に気にしていない、と老婆は笑っていた。

「見てくれを気にするような歳でもないし、別に隠す必要もないんだがね。ただ、患者が不安になりそうな要素は極力排除するようにしてんのさ。ほれ、病人ていうのは心が弱ってるから。何が気に障るかわかんないだろ?」

 心の乱れは回復の妨げとなる。
 安息に導くのも医者の仕事のうちだと老婆は語った。

「しかし、どうもあんたはとげとげしい空気を周りに出しまくってるね。あたしが配合したお香でも使ってみるかい? 心が安らぐよ」

「結構です」

 誰がそんな胡散臭い物を使うか。即座に私は断った。

「頑固だねえ」

 私の拒絶にも老婆はまったく機嫌を損ねる様子もなく、呵々と笑いながらやがて到着した侍従に付き添われて部屋を出て行った。
 腕は良いかもしれないが気に食わない。
 書類整理を続けながら、私は自分の顔がますます険しくなるのを感じていた。


  ◇  ◇  ◇


「遠路はるばる、よくお越しくださいました。心から礼を言います」

 精一杯の笑顔と王の威厳を込めて、私は感謝の意を述べた。もっとも、後者はうまく表現できたとはとても思えないが。

 よければ夕食後にお茶でも、と老婆に伺いをたててみるよう侍従に頼んでおいた。すんなりと老婆が承諾したことを聞き、賓客を迎えるための小部屋に一式用意させた。
 評判の医者というものをひとめ見てみたいという好奇心があったのが本音だが、やがてひょっこりと姿を現した老婆は、拍子抜けするほど普通の風体をしていた。よく考えれば当たり前だ。対面しただけで臆するような人物ならば、ここまで噂が届くほど大勢の病人が寄って来たりはしないだろう。

「なに、城に入れる機会なんて滅多にないからね。いい経験をさせてもらったよ。こうして王に直にお目にかかれるなんて、長生きもしてみるもんだ」

 老婆は用意されたお茶にも躊躇なく手をつける。
 少し疲弊していたようだと聞いていたが、だいぶ回復したようだ。夕食に出されたものも、残さずぺろりと平らげていたとの報告を受けていた。

「噂どおりの良い腕をお持ちだと、先ほど医士頭からも報告が」

「余計な気を遣わなくても結構だよ。あの仏頂面先生がそんな殊勝なこと言うもんかい」

 笑ってお茶菓子に手を伸ばす老婆に、私は何と答えたら良いものか思案に暮れた。仕方なく苦笑いをしてその場を誤魔化してみる。
 テエロも無理に愛想を良くしろとまでは言わないが、もう少しなんとかならないものだろうか。未だかつて、一度も笑ったところを見たことがない。別にそんなに見たいとも思わないけれど、とつい頭の中でいろいろと愚痴を吐いてしまう。

「それはそうと、あんた顔色が良くないね」

 老婆が急に話題を変えてきた。突然の指摘に一瞬言葉に詰まる。
 すぐに頭を働かせ、接客状態に切り替えた。

「……お恥ずかしい話、まだ未熟者なので、いろいろと心労が絶えませんから」

「あんたもいろいろあるんだろうけどね。体を壊しちゃお終いだ」

「精進します」

「そうそう、さっきの先生にはすっぱりと断られたけど。これ使ってみるかい? あたしが配合したお香だよ」
 
 そう言って、老婆は懐から小さい布袋を取り出し円卓に置いた。
 見慣れないものを前にして、自分はその当惑を顔に出してしまっていたようだ。私の迷いを吹き飛ばすような笑い声を上げて老婆が口を開く。

「何もそう怪しいもんじゃない。いくつかの薬草を乾燥させただけだ。匂いは慣れるまでちょっとかかるかもしれないね」

「薬草……」

「皿の上で少量を火にくべて置いておけばいい。枕元とかにね。あまり眠れてないんだろう?」

「……」

 正直、快眠とはとても言えない状態が続いていた。眠る時間が取れないわけではない。夜、寝台に入ってもまったく眠くなる気配は感じられなかった。うつらうつらとして、気がつけば外が白んでいる。昼のあいだも体が重いと感じ始め、政務に支障が出る前に医士に相談しようかと悩んでいたところだ。
 ……それも、あまり気は進まないけれど。

「気が向いたら使ってみな。寝酒なんかは馬鹿のすることだ」

「……ありがとうございます」

 酒に頼ってみた時期もあったが、徒労に終わった。却って次の日に頭の痛さに悩まされる羽目になる。
 この老婆に何もかも見透かされている気分になり、自分の顔が赤くなるのを感じた。戸惑いながらも私は布袋を手に取り、懐へ忍ばせた。

「さて。そろそろあたしも眠くなってきたことだし、本題に移ろうかい」

 手に持っていたカップを置き、老婆はそう切り出してきた。自分の顔をまっすぐに見つめてくる。
 目を逸らしたい衝動に駆られたが、かろうじて踏み留まった。顔色を指摘された時より動揺は少なかったが、切り返しに少し時間がかかってしまった。

「……仰る意味が、わかりませんが」

「この老体をこんなところに呼びつけて、人払いまでしてるんだ。何か、話したいことがあるんじゃないのかい?」

「ただ感謝の意を伝えたかっただけです」

「あんたにも立場ってもんがあるから話難いのはわかるがね。あたしも医者だ。秘密は守る」

 思った以上に老婆はなかなか引き下がらなかった。
 聞いてみてしまおうか、彼の腕のことを。と、一瞬迷いが生じるが思い留まる。何を馬鹿な。テエロのみならず、こんな見ず知らずの老婆にまで醜態を晒すつもりか。
 しかしこの屈託のない老婆に、何もかもさらけ出してしまいたい、という気持ちが自分の中で生まれ始めているのも感じていた。
 無言の時がしばらく続き、いつまで経っても口を開こうとしない私に、老婆はとうとう根負けしたように呟く。

「まあ、無理に話せとは言わないがね。ただ毒は体に溜まるよ。吐き出さないとそのうち身動きが取れなくなる。押し潰される前に、吐いてしまえる場所を見つけておくんだね」

 そんな場所、私には無い。
 これまでも、そしてきっと、これからも。

「彼の……」

 気付いた時には、もう口に出してしまっていた。

「私の側付き衛士の腕はもう治りませんか?」

 私の問いかけにも老婆の表情は変わらなかった。
 逸る気持ちを抑え、ただひたすらじっと老婆の返事を待つ。
 堪えることができずに問うてしまった、という自責の念は隅に追いやり、身動きもせずにじりじりとその時を待った。

「治らないね」

 そんな私に対し、老婆はあっさりと言ってのけた。
 思わず大きく息を漏らしてしまう。知らず知らずに呼吸を止めてしまっていたらしい。
 脱力感が体を襲った。やはりそうか。そうなのか……。覚悟はしていたが、こうもはっきりと断言されると、思ったよりも衝撃は大きかった。もしかしたら、と思った自分がやはり馬鹿だったのだ。テエロの言うとおりだった。大騒ぎをして、こんなに周りを巻きこんでしまった事態に、急に恥ずかしさがこみ上げてくる。一国の王たる者が一体何をしているのだ。彼が呆れるのも当たり前だ。

「……率直に答えていただいて、すっきりしました。ありがとうございます」

「話は最後まで聞くもんだよ。まっとうな方法では治らない、と言っているんだ」

 老婆の言葉の意味がよくわからなかった。
 訝しげな顔を浮かべる私に老婆は続けて言う。

「つまり誉められた方法じゃないってことさ」

「……治る方法が……あるのですか?」

「続きを話してもいいが、あんたにも相当の覚悟が必要だよ。ますます体に毒を溜めることになるだろうね。それでも聞きたいかい?」

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。